先日、仕事でMITに行ってきました。
Massachusetts Institute of Technology、いわゆるマサチューセッツ工科大学です。
誰でも入れる環境だからか、親子連れも結構ウロウロしてました。うちも連れて行きたかったなぁ。
四谷大塚がIvy Leagueツアーと言っていますが(まあ無料招待だから素晴らしいのですが)、
格安チケットやマイルをやりくりすれば、誰でも見学できる
という敷居のなさ(≠低さ)を感じました。さすがアメリカ。よくアメリカ人と打ち合わせすると
そこでコーヒー飲みながらやろう
とか言って、宿泊してもいないホテルのロビーで無料コーヒーを飲みながら会議したものでした。
好き嫌いや価値観は別として、
アメリカといえば気前がいい
さすがにCOVID-19以降は世界も変わり、コーヒーもなくなったりして寂しいですが・・・。
さてMITですが、歩いていると廊下から計測器やらラボ環境が見えるので、
ああ!あんな高い機器がいっぱい
と、技術以外のところで感心してしまいました。
スタンフォードやバークレーもウロウロ(どこの産業スパイか!)したことがありますが、
MITはだいぶオープンな感じでした。日本からYOSHIDA(2023年Boston Red Sox在籍)を観戦して
そのついでにMITを見学、というのもいいと思います!
Logan AirportからLogan ExpressでPrudential Centerまで行けば(ちなみに往路無料、復路$3!)、
20分ほど歩きますがMITまで行けます(チャールズ川も最初渡る時は少し感動かも。ボートが居て
開成vs筑府?みたいな想像をしちゃったり)。
ボストン、なかなか良かったです。同じ東でもフロリダとはまったく違いました。
街並みはオレゴンのポートランド中心部みたいな感じですが、もう少しサンフランシスコみたいで、
ヨーロッパとアメリカの中間みたいな印象でした(個人の感想ですけど)。
英語だけでは行けないところがまだまだたくさんありますが、それでも世界へのエントリーとしては
やっぱり心強いなと思います(アジアはもちろん、ヨーロッパでも英語が通じないことは多いです。
むしろイスラエルとかシンガポールの方が英語だけでほぼ大丈夫でした)。
そうして考えると「英語=WASPの影響地域」だけであって、フランス人もドイツ人もイタリア人も
スペイン人もみな「ああ、英語ねぇ」という感じで「話せなくても全然いいんだけど?」
という人が普通でした。彼らに言わせると
ああ、若い人は英語熱心だよね。ビジネスで役立つし。あと旅行好きも熱心だよね
と本気(≒常識)で言ってきます。
だからあまりうまくないんだね
とジョークで返すと
お互い苦労するよね!
という感じで、アンチアングロサクソンなユーモアも、たまにうけます。
アメリカ人も似たようなもので
俺!このあいだ初めて海外旅行にいったんだよ! ハワイ!!
って、おい!ハワイはアメリカだぞ、と本気で突っ込みたくなることもありましたし、
アメリカ人の半分はパスポートを持っていないとかも聞くので、
日本人ほどグローバリゼーション(※)に危機感を持っている民族は居ない!
と断言できる気がしてしまいます。
※日本人のグローバリゼーションは、行先が難しいです。アングロサクソン圏に見えたり、
ヨーロッパに見えたり、はたまた経済圏としてのグローバルビジネスだったりと。
北海道の人が沖縄の人と交流するのはグローバルじゃないの?など。なので私は
その時の会話のグローバルっぽい流れに乗る
ようにしています。曖昧さこそ日本の美徳だって言えばそれっぽいし。
日本以外の人々はみな
おらが村が一番
を信じて疑わず、生まれた地域・国家の中で大半を過ごし、たまに海外旅行にいくという
人生を楽しんでいるように思います。問題意識の高低などではなく、人生は楽しむもの、
それは趣味だったりお金儲けだったり、研究だったり、パートナーとの時間だったり、
それぞれに自分探しをして、人生を長旅のように生きているように思えるのです。
外国人も普通に他人と比べます。自分が劣っていると思うこともあるようです。
でも
いいんだ、それでも自分はこの世で自分だけなのだから(当たり前ですよ)
と真剣に思っています。卑屈にならない、他者と比べて自分の価値や尊厳を決めようとしない、
そういうところがグローバルスタンダード=人間の普通のような気がするのです。
社会としても民族としても努力をしてきた日本人が、なぜか悲観的になったりします。
それが比較的優位(誰かより青い芝生でいたい)にもつながるのかな・・・と。
私は海外の人に「お前が日本人っていうのはジョークだ」と言われたりします。
こんなに英語がへたくそで日本人っぽい発音、文法、単語を使うのに?!
と返すと
ああ、そうだね。本当にへたくそだ。understandableだね
と認めてはくれますが、彼らからすると
お前はこっちよりの人
という扱いを受けることが多いです。
言語でなく文化でもなく、人間としての自分を楽しむ、向き合ってみる、という点で人間を認め合う。
これがグローバルスタンダードといえるのかなと思うようになりました。
さて
ブログタイトルと全然違う話じゃないか!
と思ったかもしれませんが、書いちゃったんですよ。この前アンケートでつい・・・。
お子さんに将来なってほしい職業は?
という問いに
何かグローバルなもの
と。
ほんと失敗しました。
何も考えずにそんなことを書いた自分が情けない・・・。アンケートまでの話の流れが
世界との学力比較やら、グローバルとシンギュラリティを生き抜くためには、とかだったから
何となくグローバルって書いたんだよなぁ・・・。刺さらな過ぎて。
質問自体も正しく理解できていなかったんだと思います。だって
子どもの将来の職業をなぜ親が?
好きに生きて好きなもの、何者かに勝手になるもんだし親離れ子離れするじゃん
と思ってるので、なってほしいという発想がありませんでした。むしろなりたければ今からでも
本気で目指して、真似事みたいな職業やサポート的な職に自分が就こうと思いますし。
女子アナとかスポーツ選手とか、全然本気でないものは思い浮かんでもアンケートには書かないし。
それにたいていは
娘は誰にもやらん!ずっとうちの娘だ!
が古い父親像ですよ。職業は何でもいいです。
考えてなかった方角から質問が来て、何も考えずに「えっ?あ、じゃあこれで」みたいに
よくわからない選択肢からサンプルやおみやげを選んで、選んだ理由がわからない瞬間
だったような気がします。
しかも「もの」なので職業でもないし。さっきふと思い出して自分で振り返りました。
そう、これは戒めのブログ。「グローバル」と言ったからには今の考えを書かなければと。
自らのいい加減さで日本人のイメージを落とさないように気をつけようと思います。