前回の記事で
中学受験の志望校選びに、大学を見据えて考えたい
しかし日本の大学が就職までのつなぎになってしまい、目標を持ちずらい
といったことを書きました。
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大学4年間は就職のための準備期間なの?
と考えると、学歴対策でしか進路を選べません。
また、大学生が遊び惚けているとか学んでいないとか、そういう意味ではなく
大学が学究の場ではなく就職までのつなぎの場と広くみなされている
ということです。
新卒一括採用、終身雇用、仕事は日本語でOK
という時代の位置づけから変わっていないようにも見えます。しかし現実社会は既に、
キャリア採用、役職定年まで含めた実力主義、仕事は日常的にグローバル
です。
50年前と比べれば確実に経済規模は大きくなっています。
規模が大きくなったということは、内需中心と一部の輸出産業の経済だったものが、
インバウンドのツーリストは来るわ、サプライチェーンはグローバル化するわで、
経済規模を大きくしようと努力した結果が今の社会(経済)を作った
と考えられるわけです。かつての日本がアメリカの一部産業を、
製品に対して相対的に安い労働資本で打ち負かした
のと同じように、日本のモノ・コトが(為替的にも)割高になり、生き残りをかけて
会社が生産性を求めるようになった(順番は自動化→年功序列廃止→キャリア採用)
取引先を増やすためにグローバルに打って出た
だけだとも考えられます。生き残りのための自然な選択の結果でしかない、と。
もう少し悲観的に考えたら、
内需サービス中心だけど人口減で規模が縮むか、富裕層と外国人相手になる
高齢化社会でサービスは福祉よりになるが、多くの高齢者が対価を払えない
福祉を維持するために巨額の公費が投入されるが、税を嫌う富裕層や企業が逃げる
とも考えられるのです。
このように社会を見て大学を振り返ったり、あるいは海外の仕事仲間や海外の大学を見ていると、
中高一貫校の先をどうするか
日本の大学は、10年後の社会が求める人材を輩出するようになっているか
が気になってきます。
先に述べたように、
大学が就職までのモラトリアムという位置づけ
から脱却しないと、行き場が失われるという心配があるということです。
企業はもう新卒(学卒・院卒)を求めない
大学は学究の場になっていない(研究するなら大学選びはもっと重要)
となってしまったら、中高一貫校→大学進学の先が途絶えてしまいます。
フトコロがついていけるのか真剣に考えたことはないですが、
海外進学も視野に入れて中学受験の志望校も考えてみようと思いました。
15年後の社会で生き残ることを考えた場合のバックキャスティングです。
視点は、
グローバル教育をうたっているとかでなく、
人間教育(哲学的なところ)が充実しているところ
がいいかな~と思います。ひとことで言えば、
多様性を理解するにも人間教育が必要
誰からも、何からも学べる人間になるためには、総合的な人間力が必要
と思うからです。
プログラミングは生成AIがやってくれてしまいます(実際、結構使えます)
英語はスマホやヘッドセットを使うだけで、翻訳される日が来そうです。
10年後でも有望そうな銀行や証券などの金融業で、プログラミングが役立つとは思えませんし、
それこそ違う形でAIが導入されたりすることでしょう。
仮想通貨の世界が既にそうなっているように、巨大資本と技術力には敵いません。
”ツール”になる人間を目指しても仕事がなくなるかもしれない。
スキルセットを増やしても、同じような人間が大量生産されている。
これでは違いを生み出したり、生き残ったりするには条件が悪い気がします。
むしろ、
今ある社会問題はテクノロジーで解決されると仮定して、
残る社会問題、新しい社会問題は何になるか?
が重要なのですが、誰にも予測は難しいと思います。
そんな時に鍵となるのが、人間を学んでいる力になるのではないか?と考えています。
多くの中高一貫校は、
表現が難しいからアピールしきれていないだけで、人間教育に力を入れている
と期待しています。
未知の社会に備えて大学を考えて、そこから志望校を考えていこうと思います👋