中学受験では
こんな細かいところまで勉強するの?
この知識って受験以外でいつ使うの?
と感じることがあると思います。
それこそ中学以降の知識系の勉強はいつ役に立つのか?と。
特に最近は
ネットで調べれば多くの情報が手に入る
AIを活用すれば簡単に高度な文章や資料が作れる時代
なので
本当に個人がそこまで細かく学ぶ必要はあるのか?
といった疑問はすぐに湧いてきそうです。
語学だって
AI翻訳を使った方がスムースに意思疎通ができる
と考えられます。
私も実際、外国人が会議で常態的にトランスクリプトや
AIでの議事録サマリー生成を活用しているのをみて、
みんなテクノロジーに頼っちゃうよね😅
使わない理由がないもんね😜
とつくづく感じます。
なので早熟な子どもや中高生ともなれば
こんなに長い時間をアナログな勉強に充てるのは、
もはや時代錯誤なのではないか?
そんな反駁をあらわにしても不思議がないと思います。
脳を鍛えるという側面は十分にありますが、
だったら何で他のテクノロジー学習や活用ではダメなの?
というさらなる質問に答えるのが難しくなりそうです。
私はこういう質問ができる子どもを、とても頼もしく思います。
多くの人にとってはかわいくないタイプかもしれませんが😅
もし大人がお金儲けにしか興味がなかったり、
労力に対するリターンだけで価値を測っていたら、
そのような質問はただ肯定するしかなくなり、
人間はバカらしいことに労力を注いでる
多くの人間は賢くないから非効率なことに疑問を抱かない
といった、偏った選民意識につながるリスクもあると思います。
もはや選民のつもりが賎民になってるかもしれないのに。
知識の奴隷というか😓
では実際、どんな時に無駄と思えるような知識が役に立っているのか?
私の場合、多くの「異なる国や文化背景を持つ人々」と仕事をしているので、
理科や社会科の勉強で得た知識が役だったりします。
香辛料はどうやって世界に広まったのか?
病気はどうやって広まったのか?
なぜインカ文明は少ないスペイン人に滅ぼされたのか?
ヨーロッパでトマトが穫れるようになったのはなぜか?
牛はどこから来てどうなったのか?
こういったことは、仕事の合間のランチやディナーで普通に飛び交います。
誰もがそのことを語り、知らなければ驚いて好奇心を触発されたり、
あるいは自分の考えを述べたりして、
お互いの為人(ひととなり)を知り、人間関係を深めていきます。
人間関係はそれすなわち、信頼関係です。
しかもそれはほとんどの場面で英語のやり取りになります。
そして信頼関係の先に高度なチームビルディングがあって
最終的にビジネスや共同研究があるのです。
仮にスマホが進化を遂げて翻訳だけでなく膨大な知識を瞬時に引き出してくれたとして、
人々は目の前の人に話しかけているのに
機械(スマホ)から反応や対話を得たいでしょうか?
本当にわかり合いたい、時間を共有したいのは目の前の人なのに、
多くの会話がスマホとのコミュニケーションになったら、
ランチやディナーは楽しいでしょうか?
そっくりそのまま恋愛におけるデートに置き換えたら、
きっと彼・彼女はスマホと付き合ってるようになるでしょう😅
時差の関係もあるので私はしばしば海外の人と自宅でやり取りしますが、
息子や娘は
専門的な話だと用語はわからないけど雰囲気はわかる
でも世間話的な話になると、聞いたことのある単語でも
会話にはまったく入れる気がしない(盛り上がれない)
と言います。
それはやはり、人間同士の会話だからなのだと思います。
日本人同士の日本語での会話でも、
新しいコミュニティに入るのが大変なことはあると思います。
信頼関係の差、英語ならクレディビリティの差だと思います。
単に知識を持っているだけだと、薄っぺらく思われるかもしれません。
しかし好きで続けてきたことや時間をかけて熟成した学びの知識は、
他人を惹きつける魅力があったりします。
こんな時こそ私は
きっと中学受験や中高で学んだ知識が将来の大きな糧になる
と感じます。
検索で得られる情報は膨大で正確でも、人間の奥深さを磨いてはくれません。
知っていることはネットよりはるかに少なくても、
そこに時間と労力、情熱をかけてきたものは
その人の奥深さを磨いてくれるし、
時には聴く人の共感を呼び込むことにもなります。
極端にいえば
正確無比な情報よりも勘違いの間違った知識の方が
聞いてる人を楽しませる(結果的に魅力になる)
ということさえあります。
勘違いによる赤っ恥を共に笑い飛ばす、あの瞬間とかです🤣
別の記事で以前
子どもたちには中高一貫校の6年間を通して
時に回り道をしても、人間形成の時間を持ってほしい
と書きました。
いつ役に立つかわからなさそうな知識の勉強、漢字の部首もしかり、です。
いま蒔いた種が収穫を迎えるのははるか先の話・・・
同じだけの長い人生を送ってない子どもにどこまで伝わるかはわかりませんが、
もし子どもに
この勉強はいつ役立つの?
と聞かれたら、
大人になった時、若い頃の大切な時期をいくらか勉強に費やしたことが、
君たちが学ぶことに真剣に向き合ってきた人間であることの証になって、
人としての厚みや魅力を作ることにつながるよ。
人は社会を作る生き物だから、知識だけでなく
「それを得るために頑張ったこと」が、
周りの人から信頼されることにつながるんだよ。
だから暗記と思って消化するだけでなくて、
自分の中に新たな魅力を吹き込んでいると思ってくれたらいいな
みたいに伝えられたら・・・
うーん、ダメだ! 回りくどいなぁ😓
やっぱり子どもには良い伝え方ではないかもしれませんね。
それよりは、子どもが得た新たな知識に対して、
面白いね!それ、実験して確かめようよ
とか
そんな場所があるんだ!よし、行ってみよう
と盛り上がった方が、
人間はどうやって関係性を深めているのか?
を実地的に感じられるかもしれませんね😉
それか、子どもから教えてもらったことを海外の仲間との世間話に使って
私の知恵袋として色々教えて!
とお願いするとかもありなのかなぁ?
いずれにしても、単なる暗記でなく価値あることと思えるように
私も子どもたちの学びを学んでいきたいと思います👋