前回、
中学受験は努力の世界で、しかも合格したら終わりではない。
努力を続けられる力を身につける方が大事だと思う
といったことを書きました。
上の子は中学に入学してから一度、
頑張って優れた人になることで幸せになってほしいから、中学受験させたんだよね
と言ってきたことがあります。
一度も言ったことがないどころか、私の信念と真逆だったので諭しました。
あのねぇ😩優れていようといまいと、人に感謝されることが一番幸せなんだよ
と。そして
感謝は思いがけないご褒美であって、感謝してればそのうち人に感謝されるもんだよ
だから小さなことでも常に感謝しな。できれば特にあなたの母親に😜
と。
ちょっとかわいそうでしたが、とどめで
そんなおかしな考えで、もし君が誰かをバカにしたとしても、
その人の方が君より他人に感謝されるなら、人としての価値も幸せの面でもかなわないよ
と言い切りました。言葉を失っていたので、よくわかったのだと思います。幼いなぁ😓
何でこんな話になったかというと
頑張ってる自分は偉い。もっとほめてもらっていいはずだ
みたいに言ってきたのが発端でした。勉強しろとは言ってないのですが、
勉強してるだけで偉いんだ僕は~みたいに思っていたのかな🤔と思います。やれやれ😩
子ども扱いしてほめてあげてもよかったのかもしれませんが、
割りと少年っぽくぶつかってきたので、大人の真剣さで応えてもいいかな、と。
単純に
ほめてほしかった
だけかもしれませんが、教育機会到来、チャン~ス!🤩と思って
ほめる以上に、個人の存在感・アイデンティティを余すところなく認めた
ということです(褒め言葉以上の褒め方だったということ)。
前回の記事で触れた、承認欲求高めの親御さんも
ほめてほしかった
のだと思います。努力している(=子どもに努力をさせている😅)ですからね。
子どもの方をほめてあげたいところです😅
・・・ほめられないけど(うかつに他人の子を褒められない中学受験の闇?)。
前回、
楽しい努力を続けられることが一番いい
と書いたのですが、楽しい努力のすぐ先が
苦しい努力
と紙一重なのが難しいのです(主観です!)。楽しい努力は結構続くのですが、
いつか自分の限界能力まで努力できてしまうと、
もっと努力しないといけない
みたいな苦しさに変わりかねないんですよね(何度も言いますが、主観!)。
頑張るためにもっとほめてほしくなる
まだ過程なのに(結果が出てないけど)認めてほしくなる
努力も過ぎれば毒(無理)となる、みたいなものかもしれません。
それが他人も舌を巻くほどの努力ならば、他人はおいそれとほめることができません。
畏れ多い、みたいな感覚と考えてよいと思います。
努力の先が苦しみだったら、一体何のために?
子どもたちには楽しい努力の良さを伝えたいと思っていますが、
いずれその先についても私の考えを伝えたいなと思っています。
「頑張ってるね」
「すごいね」
こういう言葉では、心の渇きは潤わないし、満たされないと思います。
むしろ、もっともっと言ってくれないと、となるかもしれません。
心の渇きを潤してくれるのは、
ありがとう
です。
「頑張ってるね」と言われても満たされないのは、心のどこかに
どれくらい頑張ってるかなんて誰にもわからないもの
という孤独があるからです。なので上の子には、
感謝されることが一番幸せなんだよ
と言いました。字面はわかっても意味はまだわからなさそうですが。
それを知るにはその手前にある
いくら頑張っても満たされない渇き
という、楽園の手前の絶望の断崖、最後の試練があるはずなので(主観~)。
しかもちょっとした罠まであって、
感謝されようと頑張ると感謝されない(試されるぅ~)
なんていうジレンマにも苛まれたりします😅忘れた頃、諦めた頃に感謝されたりとかね😉
子どもがそういう悩みの顔を見せてくれるようになったら、
その絶望感こそ、頑張ってきた人にしか到達できない苦悩だよ
究極の幸せな気持ちは、あと少しだよ!
と言ってあげたいと思います。本当に大人になっていたら
幸せにまったく向かっていない、終わりのない苦悩、努力も世の中にはある
ことも伝えたいです。そういうものを少しでも減らせる大人になれたらと思うので。
本人の努力だけではどうにもならないことがたくさんある世の中ですから、
支えあうために力を使うことが、努力の先の答えだったりもします。
努力の先にあるのは、感謝されること、だと思います。
頑張った力は何のために?ということです。
ダイの大冒険で、アバン先生が言ってました。
勝てない相手だからこそ命をかける必要があるのです
(中略)
修行で得た力というのは他人のために使うものだと私は思います
その遺志(死んでないけど😓)を受け継いだダイは、大魔王バーンとの最後の戦いで言います。
おまえは力が正義だって言ったけど、それは違う
違うんだ。おれが今まで教わってきた正義と・・・!!
ダイは物語の途中で一度バーンに敗れているのですが、その際に言われていたんですよね
鍛え上げて身につけた強大な力で弱者を思うようにあしらう時、
気持ちよくはないのか?優越感を感じないのか?
力ほど純粋で単純で美しい法律はない・・・
と。
中学受験のマウンティング?大魔王みたいで恐ろしいです😱いや、ばからしい、かな🤪
バーンの理屈だと、
誰もが同じ能力に到達するまで努力しなければならず、力で優劣が決まる
となってしまいます。でも努力の量なんて、人それぞれですよね?押しつけるもんじゃない。
なので、
努力できる人はその力を他人に使えばいいし、努力できない人だってそりゃいるさ
でいいのだと思います。人間の歴史なんてきっとずっとそうだったんでしょうから。
そんな困難な努力で人の価値を測るより、できる範囲で役立てばいいと思います。
10000の力を自分のためにしか使わない人間より、
10しかない力の1だとしても、他人のために使う人間でいいってことにしようよ、と。
努力という熟語には既に2つも「力」が入っていますが😅
鍛え上げたその力を、他人のために使うからこそ、暴力でない役に立つ力になる。
それが適切に役に立ったのなら、感謝もついてくるのだと思います。
もっとも、役に立った時点で心の渇きは潤うはずなので、感謝は忘れた頃に届きそうですが😅
子どもは今、
人生における努力というものの価値
を学んでいると感じます。ブーブー言いながらも🤣
その先にはきっと
何のために?
が待っていることでしょう。
いつか自分なりの人生を歩み始め、誰かの何かの役に立てるようになってくれたらと思います。
何か・・・広めたいな、コレ。
政治家になろうかな🤔
そうだ、
アリガ党
にしよう!
いつも思っていますが今回は文字にして。
最後まで読んで下さった〇〇さん(あなたの名前)に感謝します。
貴重な時間と労力を、どうもありがとうございました👋