前回からの続きです。
girl.chugakujuken-challenge.work
中学受験に限らず、人と比べて自分の価値を測ることは、冷静に考えると損な気がします。
なぜかというと、
他人の方が優れていると思えば劣等感を持ち、
どこまでも「あの人はいいな」と思ってしまう呪縛から逃れられなさそう
だからです。
自分にとって都合のいい他人だけが居ることを望み続けるのと、同じかもしれません。
中学受験でいえば、前回紹介したマンガにも出てきますが、
自分の子どもと他人の子どもを比べるのは、結局自分と他の親を比べることである
ともいえるようです。そしてそれが
成績の上下が人としての上下を決める
という偏った考えにつながり、
成績が伸びないことを叱ってしまう
という展開になっています。
私は子どもをよく叱りますが、他の子どもと比べたことはありません。
成績が悪かったことを叱る、というのは想像しづらいなぁ🤔
と思います。上の子の受験の時も、成績が落ちたことを叱った覚えはありません。
だってテストの成績は、普段の取り組み方で察しがついてしまってた気がしますし😞
私が子どもを叱るのは
机の上をきちんと片付けなかったから
ご飯や勉強の時の姿勢がひどかったら
モノ・コトを雑にした(思いやりがなかった)から
人の話をちゃんと聞かなかったから
相手を見て話をしなかったから
呼ばれたり話しかけられた時に、相手に伝わるように返事をしなかったから
とか、キチンとしないことに対してです。軽く言って自覚してくれない時は強く言います。
上に挙げたことはどれも、自分を守る・大切にすることにつながっていると私は思います。
自分を好きで居続けられる人間に、自分の価値を自分で認められる人間になってほしい
他者を大切にしないことで、自分も大切にされなくなることを知ってほしい
弱い自分を認める寛容さ、自分の弱さを受け容れることで他人の弱さも理解できる、
そんな「生きるために必要な心の強さ」を持ってほしい
とか思っています。
中学受験の話に戻すと、受験生活は
子どもだけでなく家族全体が試されている感じ
がします。
それははたから見たら
何でそこまでして?
と思えることだとも思います。家族が魔物に憑りつかれたりとか。
しかし中学受験ほど、
家族一丸で目標に向かっていく機会もないだろう
と私は思います。家族で何かに挑む必要はないのかもしれませんが😅
家族内の各個人としても、家族としても一緒に成長していけるところが、普段と違うのです。
子どもは思い通りに頑張ってくれないことの方が多いと思います。
それを親として味わうことも、得難い経験なのかもしれません。
思い通りに事が運ぼうと運ばまいと、一生に一度の経験を子どもも親も同時にしているのです。
ただこんなことがいえるのは、息子の時も現在進行中の娘の時も
この学校に入らなければならないという事情
偏差値の高い学校に入らないと困る事情
がないからです。世の中みんなそれぞれの事情を抱えているので、他人が知る余地はありません。
事情がある家庭は本当に大変だろうなと思います。
わが家では、
中学受験は成長の機会
学びの楽しさや行為の価値を知り、一生の学びのきっかけにする
というのが、軸になっていると思います。
次回は、そういう軸でどこに向かっているのか?を、書いてみたいと思います👋