9月も第1週が終わりに近づき、ほとんどの小学校が2学期に入ったと思います。
夏休みが終わると、
どこどこに行った
何々をした
といった話題が出ることもあると思うのですが、最近は
夏休みの体験にも格差が表れている
みたいな話まであります😮
そのような話を聞いていて思うのは、
みんなと同じような経験をしていないのは不幸だとか、恥ずかしいとか
他人よりも珍しい、あるいは羨望の眼差しを浴びるような経験こそ価値がある
みたいな捉え方への違和感です。
人間は
自分は他人より不幸なんじゃないか?
という不安に、とても弱い生き物だと思います。
そこにビジネスが絡んでくるからややこしい(いやらしい?)。
中学受験すら、あるいは塾ですら、ステータスのような体験コンテンツみたいになっていたら、
何だか寂しい感じがするなぁ
と思います。
取り上げた記事でも触れられていますが、
何らかの体験をしていない子どもは不幸だ。これは格差だ
となってしまうと、体験を”消費する”ことが目的に思えてきます。
これって親への煽りじゃないのかな?🤔
親の財布を狙うビジネスと言っても過言ではないかもしれないと思います。
フトコロを狙われた親が
あ!うちは体験をさせてない!不幸だと思われちゃう😱
と思ってしまったら、
それまで自分が不幸だと思っていなかった子どもさえも、不幸だと思い始める
なんてことになりそうです。
なので私としては、子どもがよほど劣等感を持っていなければ、
どこかへ連れて行けなくてごめんね
とか
〇〇を買ってやれなくてごめんね
みたいなことは言わないし、思いません。
結局のところ、優越感はマウントを取りたいだけの気持ちだし、
劣等感はみじめな気持ちになることへの焦りのように思います。
他人と比べること、相対的に自分が幸せかどうかを決めているというか・・・。
こういうのって振り回されることだと思うので、私はかなり早いうちから鈍感になりました😅
変わった人だと思われることもしばしば🤣
なので
どこか抜けている
と言われることも多いのですが、それでいいや~と思っています。心が落ち着くので😉
格差、格差っていうけれど、昔より豊かになったよね・・・。
貧しさを知っている
というのは、長い人生においてはとても大きな強みにもなると思います。
右から左へとコンテンツを消費していく社会は、後に残るものが少なさそうで怖いです。
もし本当に体験型コンテンツを味わうとするならば、非常に難しいセンシティブな話にもなりますが、
困窮
こそ、貴重な体験になると思います。
私は
貧しくて本当に食べられない
ということもあったので、たいていのものはおいしいと思うようになりました🤣
大人に近づくにつれて
若い時の苦労は買ってでもしろ
の言葉を実感したものです。そんな説教は子どもたちにしませんが😅
その代わり、子どもたちが相対的な貧しさを感じたり、悩んだりすることがあれば、
悩むこと、苦労して手に入れることって、人を成長させるものだよ
という感じのことを伝えるようにしています。
もちろん、全然納得なんてしてくれませんが!
親、先生、大人の教えは、あとで効くものほど胸に残る
そんな風に思います。
子どもたちがいつかこういうこと、メッセージを、
貴重な体験だったんだ
と思えるようになってくれたら少し有難いです。なぜなら、
そう思えるということは、自分なりに幸せを感じることができた証だから
です。
完璧じゃないけど”今”には満足できる。
でも完璧じゃないから”明日”をよくしようと思える。
人生そのものが体験と思えたら、毎日はそこそこ楽しくなるかな~と思いました👋