最近のネット記事で、
興味深いけど笑えないかも😰
と思ったものを紹介します。
さすがにゲンコツなんてありえませんし、
そもそも質問をされて「うるさい!😡」なんて言うこと
はないのですが、忙しい時だと
用件として済ませてしまう
ということはあります。
本来、子どもに話しかけられた時は何でもチャンス!のはずですが、うまくできない時もあります。
また、
まったく逆のシチュエーションだけど、やはりうまくできない時
もあります。それは
子どもが大して興味も示していないのに、無理に盛り上げようとする時
です。子どもと親ではやはり視点が違うのですよね。なかなか難しいです。
かといって何でも聞けば良いというわけでなく、
会話をどうやって面白くするか(実際は”面白さを共感するか”)
が大切で、
子どもの好奇心と私の好奇心がシンクロした時
が一番盛り上がったりします。
別に同じような感じ方をして盛り上がってなくてもよくて、
子どもが自分と違う視点で何かに興味を示した時に
「親子であってもこんなにも自分と違うのか~」
と、子どもそのものの観察に関心が高まっている
という時でも、結構盛り上がっている気がします。
それにそういう時は話を聞いていても、質問されていても楽しいですし。
忙しいとついつい問題解決思考に走ってしまうのですが、できれば
そんな時に話しかけられることこそが天啓
と思って上手に休憩を取りたいものだと思います。
それにしても子どもと接していると多くのことを学んでいる気がします・・・。
忙しい時は、
好奇心の赴くままに脱線
なんて余裕はありません。そこで気づいたのは、
それって大人でも子どもでも関係なくね?🤔
ということでした。
子どもでも、
好奇心旺盛なのは、時間や心に余裕がある時
だという意味です。当たり前かもしれませんが、忘れそうになります。
塾に通い、復習や宿題をしていれば、時間や心の余裕は少なくなるはずです。
なので気分転換といっても、暇に任せて好奇心の赴くままに何かするというのではなく、
お手軽な消費型コンテンツに走ってしまう(なぜなら、自分で考える必要性が少ないから)
ということになりがち?🤔と思いました。
仮に塾関係での忙しさがなかったとしても、
受験のためか・・・
と見透かされるようなエンターテインメントの与え方では、自発的な好奇心は生まれにくいかも。
結局ある程度の暇(期限がないように見えるような暇)が、実は重要なんだと思いました。
自分が子どもだった頃、やることがなくて退屈だと身の回りの世界に関心が湧いたり、
新しい遊びを工夫してみたりしようとしていました。本当に暇だったんですよ!
教育テレビを除けば子ども向け番組なんて少なかったですし。
だから、週に一回のアニメやマンガが待ち遠しかったり、
キャラクターやストーリーが心に強く残るくらい面白かったのかもしれません。
先に取り上げた記事でも、子どもはきっと親の買い物に付き合っていることが退屈で、
機械の不思議に関心が向いたのでしょう。
ですが、ただ暇にするだけでは子どもは
つまんない!スマホ見せて!
みたいになってしまう気がします。
暇と一緒に自由裁量の遊びを与えてあげないと、退屈さだけを感じるのかもしれません。
受験生活は日々続いていますが、
意図的だけど自然な暇
を作れるようになりたいです。
全体的な効率を上げるために、あえて非効率さや不純物を入れる
まるで不純物を入れると劇的に性質が変化する半導体みたいですね!
子どもと接して観察して学ぶこと、疑似的に教えられることの多さに驚くばかりです。
そういえば先日訪れた日光東照宮にも逆柱というものがあって、
あえて未完成とすることで完成してしまっている
という考えがありました。奥深い~🧐
girl.chugakujuken-challenge.work
未完の美・・・
いつまでも青いままだから頑張る。頑張るって美しい(←前回の記事の繰り返し!🤣)
不純物によって成長の純度や精度、限界を高めていく・・・。
そのためにも、
親の心にはゆとりがないといけないんだなぁ・・
と深く感じました。できれば、娘が6年生になってもこの心を持っていたいですね🥴👋