前回の記事は、
思考力を求めるとは一体どういうことなのか?
中高一貫校が求めている”思考”とは、どういう行動態様を指しているのか?
という問いかけで終わりました。
私は結構シンプルな話なんじゃないのかなぁ?🥴と思うのですが、
思考力を鍛えさせたいのであれば、調べてすぐわかるような問題を出さなければいいのだと思います。
中学受験の入試問題を解いていると、そういう問題の組み立てになっていると感じます。
およそ答え(解法)が知れ渡っているような問題を、情報を一部隠したり、
リードを注意深く読まなければ前提条件が狂ってしまうような形にすることで、
思考を求める問題にうまく昇華させていることが増えたかな?という感じです。
情報過多だったり、真偽不明の情報も増えてきた時代で、”調べる力”は思考力の源だと思います。
自らの中にないものは外部に情報を求めて、本当に解きたい問題に挑む。
これは良いことだと思いますし、そういう子どもは中学以降も伸びると思います。
そういう子どもが選抜されるように、入試問題はリードや資料という名の情報が増えたのかな?🤔
それと比べれば・・・
とにかく未知の問題(難問)を出すこと
わからないのに、とにかく長時間考えさせること
これらは思考力のトレーニングにならないと私は思います。
むしろ勉強が苦痛になったり、疲れる割りに学力が伸びない可能性もありそうです😭
考えさせたいのであれば、まず「知りたい」という気持ちを呼び起こすこと
その上で、知りたいけど簡単にたどり着けない。でもヒントはありそうだ
というアプローチの方が良いと思います(人は「知りたい」から考えるんじゃないのかなぁ🧐)
思考力を鍛えよう
思考力系の問題が増えた
という話をよく聞きますが、その「思考力」は自発的なものを指しているはずです。
他人に考えろと言われて、自らの意思がない”考えさせられている状態”は
思考力を鍛えていることにはならないだろう
というところに注意が必要かな?と思いました。
ヒントもないのに「よく考えて!」と子どもに言っても、あんまりやる気は出ませんね😅
そういう時は、求める学力水準を”早めに”少し下げる方が良いと思います。
”考えさせらている”という状態が長く続いた後は、ヒントを聴く力が残っていないことでしょう。
”早めに”というのは”疲れる前に”ということです。この構図、高学年後半での問題と似ています。
それは
成績が停滞したり穴があったら、恐れずに基礎に戻ること
です。
学力水準が到達していないのに難しい問題や単元を追加しない
ということと同義だと思います。基礎の穴を見つけたら、放置せず勇気を持って立ち戻る。
そして思考力を鍛えるには十分な時間と継続性が必要と思います。
また、思考力こそが自走力の正体でもあるかな~と思いました👋