前回からの続きです
私が違和感を覚えたのは、
ひとくちに思考力といっても、さっぱり見当もつかないような算数オリンピックの問題や
手がかりすらない難題に立ち向かうことと、
まるで授業のようにナビゲーションされながら解いていく問題は別物だろう
ということでした。最近の入試で増えてきたのは後者の方だと私は思います。
つまり
素の思考力ではなく、指導(誘導)の意味を考えて答えを手繰り寄せるような思考力
みたいなものです。
個人的には、リードもない状態(読んで理解できないリードや資料を含む)で、
自分の学力・知識水準に見合わない問題に時間をかけるのは無駄だと感じます。
先ほどの記事の後半では
ネットやAIですぐに答えを求めようとする子どもが増えて心配だ
みたいなことが書かれていますが、私はその考えに疑問を感じます。
一方で
ITリテラシーが必要だ、これからの時代はDXだ
とうそぶき・求めながら、それを使うなというのは時代錯誤に感じます。
ネットはどんどん活用すべきでしょう。問題は
答えを知って満足(マンガやドラマのオチがわかればいい)
みたいな結末の方でしょう。リードの少ない難問=未知の問題があったら、
ためらうことなくスマホを使い、様々な情報を集めた上で精査・考察し、
もっとも確からしい答えを考えていくこと
の方が、よほど思考力を発揮していると私は思います。
ネットで調べれば答えが出てしまうような問題を出す側に問題があるのであって、
答えを出してしまう子ども側を心配するのは、
大人が自分の心配を子どもに押し付けているだけ
かもしれません。子どもは不安なんて感じていないことでしょう。
では思考力を求めるとは一体どういうことなのか?
中高一貫校が求めている”思考”とは、どういう行動態様を指しているのか?
次回はその辺の、あくまでも個人的な分析内容を記事にしてみます👋