今日はずっと書きたいと思っていた、脳🧠の発達に関する私の印象の最終回です😅
ちょっと長くなりました・・・もう、ゴメンナサイとしか言えない😭
(前回の記事はこちら)
すべてに同意するわけではないですし、個人差はあると思うのですが、
脳の発達を段階的にわかりやすく説明しているんじゃないかなぁ🙄
と思う記事を紹介します。
この記事の良いと思うところは、
脳がランダムな順番で発達するのではなく、成長速度にばらつきはあってもルートは同じ
と説明しているところです。
私の記憶なので自信はありませんが、以前アメリカで
経済学が最も重要だ。だから子どものうちから株式投資などを学ばせよう
役に立つかどうかわからない学問は大事な成長期を無駄に費やすし、遠回りだ
というブームがあったと思います。
人間心理や社会性、自然を学ばずに、果たして経済理論を学べるのでしょうか?
でもそこは「合理性があると思えば試してみよう」という欧米文化。
その姿勢には学ぶところがあります(模倣がすべてではありません)。
中学受験の身近な話でいえば、数の概念を丁寧に学ばずに数学に進んだり、
極限という概念→総和→積分→微分
と段階を経ないでいきなり微積から始めたら、単なる記号や数値操作しかできなくなりそうです。
理論を実践に当てはめられない
同じ知識や学習水準に到達した相手でなければ、簡単な論理すら他人に説明できない
そういう頭でっかちな人間ができたりしないでしょうか?
もし本当に細胞分裂を通して、生物としての組成が完成していく子どもの時期が大切ならば、
その成長に合わせて刺激を与えていくことは、理に適っているのではないかな?と思います。
前回までで、息子や娘の成長を通して感じたことの言語化に挑戦しました。
先取りよりも器の成長促進、数値操作や基礎のない法則・定理といった抽象概念より、
身近な数字や感覚を優先した学習を意識してきました。
そのせいか生まれつきかはわかりませんが、娘は
学んだことが自分の人間的成長に役立っているかも?
という感覚を意識できているように感じます(親の色眼鏡?😱)
少なくとも、他人との競争や承認欲求でなく、自らの学びを楽しめている気はします。
考えようとして考える(「考える」という行動を意識的に選び、実行に移す)
という感覚が育ちつつあります。
これが10歳の壁に立ち向かう拠り所になるのかな?と。
10歳の壁と定性的に認められている内容を、抽象的でなく具体的に書いている記事を紹介します。
この記事の中盤に出てくる
「抽象的な概念」とは?
のくだりは、子どもでもわかるくらい易しく書かれています。幼いうちは、
具体例から要素を取り出して抽象化すること
抽象的概念の具体例を説明すること
の両方ともできません。だから第三者にわかりやすく説明することもできないし、
一所懸命説明しようとする子どもほど、
要点は何?🥴
と言いたくなるくらい、事細かにすべてを説明しようとしたりします。
あるいは語彙が少ない子どもなら、感情や感覚だけを必死に伝えようとします。
これは子どもが具体と抽象をつなぐ道を、整備しきれていないからだと思います。
温かく見守って聴くことで、子どもは
話を聞いてもらえている、認めてもらえている
という安心感を得られるとするなら、聞く方はやっぱり大変です😓
同じ記事の後半には、ギャングエイジに関連する話が書かれています。
9歳ごろから子どもの道徳観は変わっていく
というくだりです。
親や先生に言われたままに決めるのではなく、自分で考えてから判断するということです。
道路には一時停止のサインがあります。これを
ルールだから守るのか
そこは見通しが悪いことを示しているから、止まるだけでなく周囲を確認するのか
止まらなければ「止まると期待している周りの人や車」との調和を乱すから止まるのか
色々と考えて「止まる(+その背景を考えた適切な行動)」を選ぶわけです。
もちろん普段から運転中にこんなに考えていたら、むしろ事故を起こします😅
サッカーの「オフザボール(ボールを持ってない時)の動きが大事」じゃないですが、
危険のない時に考えておくと、意識がそこに向くようになります。
記事ではギャングエイジの説明からうまくつなげて、自尊心の芽生えを説明しています。
文章中に自己評価という言葉が出てきますが、はやりの”自己肯定感”とはまったく違います。
自己評価は、自分の弱点や欠点にも目が向きます。
自己肯定感は根拠がないだけに、プラスにもマイナスにも働くと思います。
自己評価は
自分を他人のように振り返って、自分で評価する
ということですから、それを変えたいと思えば努力につながりますし、
あるいは劣等感に近いものを感じれば、他人の心の痛みに気づくことができます。
自己肯定感は時に、
自分に酔うことで自分にちゃんと向き合っていない
というリスクがあると私は思っています。無謀と楽天的が大きく異なるように、
空回りのポジティブと地に足の着いたポジティブでは、自己制御の面で違いが出ます。
ご紹介した記事は、
とにかく自己肯定感があればうまくいく!
みたいな乱暴な話と違い、ギャングエイジの「自他の観察期間の大切さ」を丁寧に説明しています。
自分で考えようとしている期間なので、もう親が何でも教えようとせず、
一時的な子離れの準備を始める時期を示唆しているのではないかなと思います。
子どもの学力向上に特効薬や近道がないのと同じように、
子育てにもショートカットはないと私は思っています(楽できない~😭)
さて最後にもう一つだけ。
私のブログは中学受験ブログですので、中学受験に絡めた記事を紹介して終わりにします。
私がそうなのですが、
子どもの成長を待つこと
同じ意識水準で話ができないこと
を待つのがとても苦手です💦
言いたいことは何?わからないことを説明できないと相手は答えられないよ?
さっき説明したよ?ちゃんと聞いてた?
どうして同じことの繰り返しなのに、素直にそのまま再現しないの?
こういう言葉を言いたくなる気持ちはすごくあります😫
でもできる限り言わないようにしよう!といつも思っています(できてるとは言いません!)
最後に紹介した記事が、うまく説明してくれているのでつつしんで引用します。
8歳くらいまでの脳は、抽象的なことがあまり認識できず、理屈ではなく体験、
つまり“体で学んでいる”のです。
自分はこういうことが好き、こうすると頑張れるということを、
言葉にはできないけど体で感じ取りながらセルフイメージを描き続けることで、
自分の軸を作っていきます。
自己肯定感や能動的に活動する力のエンジンが育つので、この時期はとても重要なのです
最初に読んだ時は少しうるっ🥺ときました。大事なところに線を引きました。
言葉にできないので、実は他人に説明できないだけでなく、
子ども本人も”それ”が何なのかを認知できない
ということに気づかされたのです。
人は言葉で表現できないものを再現することができません。
再現できないということは、
さっき確かに何か感じた・あったのに、何も思い出せない
という状態になるのです。忘れてさえしまうほどに。
子どもは、大人にうまく伝えられないどころか、自分の中にすら残せていないと気づきました。
自らの感覚だけが頼りならば、
よく何度も繰り返して飽きないねぇ~
という行動は、
もしかしたら自分の中で、少しずつ再現可能なものに置き換えようとしている
のかもしれないのです。
そのうち使える語彙(第三者に通じる表現)が増えることで、
自分の中にあるものが何なのか?
そして
相手が何を言っているのか?
がわかるのではないかと。
さらに、
子どもは少しずつ”自分”を作っているんだ・・・
と、はっきりと意識するようになりました。
自分のペースで自分の感覚だけを頼りに成長している。
そう仮説を立てて、脳の発達を意識しながら中学受験の準備をしてきました。
まだ結果は出ていないので、先のことはわかりません😶
おまけ(まだ書くの?!😒)
子どもが親を一心同体と思うだけでなく、実は親自身も
わが子は自分のコピー
と思っている可能性を感じました。能力や性格でなく、
「親子だから感覚で伝わる」と勘違いする
という意味です。
いつそれが勘違いだと気づくかというと(ギャングエイジの話を振り返れば)、
自我を意識するから自他の区別という概念ができ、
子どもの方から親に「自分と一緒にしないで!」と言ってくるのかな?
と感じた時です。親よりも子どもが先に気づいてるってことですよね?
(ああ、おぼれかけていたのは私なのねー😱)
未就学児から低学年、そしてギャングエイジへ。
いろいろなことを考えさせてくれたし、試行錯誤で学ばせてもらったと思います。
できれば、そこで得られたすべてを、未来を作る子どもたちに渡してあげたいです👋