前回からの続きです(前回はこちら)。
girl.chugakujuken-challenge.work
ゴールデンエイジの後半。
ここから先は友だちの方が、「今の自分と近い」という感覚で親しみを覚えるのかもしれません。
また、塾の先生のように
むしろ明らかな他人であるけど自分を知っている存在
の方が、適度な距離感で付き合えたりするのかもしれません。
少しの間、親の出番はなくなっていくのでしょうね(ステナイデー😭)
いま娘との関係は極めて良好で、まだ好意的に親との一体感を持ってくれていますが、
一体感を認めたくなくなる感情
好きな部分と嫌いな部分(=自分の中の嫌いな自分に目がいってしまう)の葛藤
が自然と芽生えてきて、自立が始まっていく予感がします。
学習の話に戻ると、やはり4年生からが本人の実力による本当の学習の始まりであり、
低学年の学習は大きな貯金にはならないかな?🤔
と思っています。
私が意識してきたのは脳の発達段階であって、抽象度の高い学習を意図的に避けることでした。
その代わり、
復習によって学力の定着を実感させる(復習の大切さを手に入れる)
空間把握力や瞬間思考力などを鍛える
といったことを重視してきました。
後付け理論になってしまいますが、これが結構良いのでは?と最近思っています。
10歳の壁でいきなり抽象思考が求められると、思考停止に陥りやすくなりそうです。
一方で、親との一体感の喪失+自我の意識・自他の区別の悩みは友だちが支えになりそうです。
一人だと不安だけど、つるんでいると何だか安心
というアレですね😅
つまり
成長のために避けて通れない心の壁は仕方ないし、友だちが支えになるかも
では学習面の壁についてはどうなんだ?🤔
復習や低学年での学びがここで効いてくるのではないか?
と思ったわけです。
10歳の壁に到達した時に、
ここで(高度な学習で抽象思考を求められた時に)何とか粘って試行錯誤して、
考えて乗り越えることができたら、自分事として学習に取り組めるのではないか?
と期待しています。
他人とつるんではいけない、独りぼっちになれ
という話ではなく、
少なくとも学習に関しては、自分ごととして何とか粘っていけるんじゃないかな
という意味です。
低学年で脳の器を広げようとか、「考える」という行為を認知させようとか、
自然な遊びの中で想像力を膨らませて自己解決を繰り返すのと同じように、
ゲーム感覚に近い思考系課題で試行錯誤をさせてきたこと
が、4年生からの武器になるのではないだろうか・・・。
ここまで計算して低学年の学習を続けてきたわけではありませんが、
最近になって自分が一周目から学んだことを工夫してやってたことが、
一体何だったのか言語化できてきた気がします(錯覚?😓)
そういえば一周目の頃、四谷大塚でも早稲アカでも
低学年のうちは「考える力」「学ぶ器」を育てることが大事なんです
って、すんげー抽象的に言われていました。
・・・そうか・・・これか?😏 わかりづらい!🤣
唯一無二の方法や普遍的な方程式はないからこそ、抽象的にしか言えないのかもしれませんね😜
子どもが自立するまでは伴走者も試行錯誤です😁
次回は、ゴールデンエイジと学習に絡めた記事を引用しつつ、まとめたいと思います👋