読書を通じて読解力を高めよう、そして国語力を高めよう
という意見を見かけることが、あると思います。
たとえば以下の記事では
読解力の重要な要素は机上の『勉強』ではなく『読書』です
というくだりが出てきます。記事を読んでいくと
読解力の高い子は人の話をよく聞くことができる
情報収集と情報処理の両面で優れている
といったことが書かれています。私の感想としては
既に優秀であることが明らかな子どもの、特徴が書かれているだけ
でした。
そのための能力開発手段がメモリーゲームだったり、読書だと言いたいのかな?🤔
と思いますが、ロジックが弱いと感じます。
語彙の少ない子がしりとりを楽しいと思うだろうか?🤔
文字を読むことが苦手な子が、読書にとりかかれるだろうか?🤔
私は、
国語や読解の訓練に悩んでいる保護者は、
「それができるならとっくに解決してるわい」
と思うような内容で、保護者の助けになってない
と思いました。むしろ”そのような読解のための訓練ができる子”を捕まえて
読解力の高い子は国語なんか勉強したことないという
とか言われても、役に立つのかなぁ?🤔と疑問を感じます。
以前のブログでも書きましたが、国語に関しては論理的でない記事や論説が多いと感じます。
girl.chugakujuken-challenge.work
国語で苦労したことがない人が書いているのだろうなぁ🤔とも思います😅
いずれの記事も、ある意味「書くことが生業」のプロ中のプロですからね🤣
読解力が伸びない子どもを、本当に分析したことがあるのだろうか?🤔と。
私の知る範囲でしかありませんが、読解力に課題を感じるような子は人の話が聞けません。
それは、そもそも知っている言葉が少なくて、会話についていけなくなるからです。
なのに「聞く気がない!」と怒られて、しぼんでしまう子どもも居るだろうと思います。
話し手はたとえ話をはさんだり、言い方を変えたり工夫するとします。
何が起こるか?
わかりやすくなるのではなく、
それまでに聞かされて消化しきれなかった情報に加え、新たな情報が投下されるだけ
という状態です。ますます話がわからなくなるのです。
こうして、話し手の努力と聞き手の努力はますます乖離していき、お互いに
この子は話が聞けない
私は話が聞けない
と思ってしまって、希望を失っていく気がします。どちらも悪気はないのに🥺
読解力には近道はなく、地道に語彙を増やし、初期段階は課題を限定して、
力をつけさせていくしかないと私は思います。
今でこそ国語は結構伸びてきた娘ではありますが、
最初の頃はその時のレベルに合ったところから練習していきました。
girl.chugakujuken-challenge.work
中学受験国語も、算数と同様に積み上げが必要な科目だと思います。
ネット記事は玉石混交ですね。