学校でもSAPIXでも、夏休み中の課題というのはあります。
その中でも小学校の課題は、書道やら水彩画やらがあって楽しいなと思います。
やらされている子ども本人はちっとも楽しくなさそうですが🤣
うまくなりたい🤩
面白い😍
という気持ちがなければ、楽しく取り組むことなんて無理なのでしょう。
かといって
自由課題なら好きなことに楽しく取り組めるのか?
というと、まったくそんなことはありません。
大人になれば多少は、
人間として文化的な暮らしを送りたい(心の充実を求めたい)
という気持ちが湧いてくるので、それまでやれなかったことや、
一度やってみたけど楽しさがわからなかったことなどについて、
友だちを作ったり人に教わったりして、物事を楽しむ気持ちがわかるのでしょう。
決して伝わっているようには思えないのですが、子どもたちには
学ぶってことは最終的に人としての人生を豊かにするものなんだよ~
と伝えようと思っています。たとえそれが夏休みの課題であっても。
受験であれば志望校に進学することがわかりやすい目標になりますが、
小学校の課題や日々の勉強(受験勉強でない方)は、理由や目的、目標が見えにくいです。
でも長い人生で考えたら、中学受験の勉強よりも小学校で何となく学んだこと、
遊んだこと、意味があるかどうかわからなかったことの方が、
大人になってからとても役立ったり充実感につながったりしている気がします。
恐らくこれが今注目されている、リベラルアーツ的な発想なのでしょう。
大人はもう後戻りができないとわかったからこそ、
もし今学べるなら真剣に意味を考えるのに
と思って価値を見出そうとできるのだと思います。
後戻りどころかこれからが人生の始まりである子どもたちが、その価値を理解した上で
学びに取り組むのは難しいかな?🤔と思います。
なので可能なら小学校の課題も面白おかしくクリエイティブにやりたい(主体的な学びにしたい)
と思うのですが、小学生の「楽しい🤩」はともすれば大人を不快にさせます。
私は小学生のころに、クラス全員が絶賛大爆笑して一番人気を得た作文を書きましたが、
先生には大目玉を食らいました😭
真面目な本をうがった視点で別解釈を加えた上に、面白い話にしてしまったので。
しかも
こっちの方が小学生には面白くて、男子はもちろん女子にも受けているのに、
同じ切り口で同じような作文ばかりを求めるのは教える方がおかしい
と意見したので、すごく叱られました。4年生の時でしたね・・・。
そのおかげで
つまらないと思うことでも、周りが求めている答えを出すのがプロ
と思って無味乾燥な模範解答を作るようにしましたが、大人になってからはさらに
完璧な答えより、周りの人にアドバイスの余地を残し、役立った感を演出できるとなおいい
ということに気づき、社会性や協調性を後付けで作るスキルも磨かれました。
大人になれば期待通りの答えだけを求められるから、予めスキルを身につけるのか
それとも、
期待通りの答えしか求められないうちに、そのスキルしか育たなくなるのか
どちらが先かはわかりませんが、自分の子どもたちには遊び心を残したいなと思います。
作文ねぇ・・・
水彩画ねぇ・・・
クリエイティブな方が楽しいんじゃないのかなぁ。
朝顔とかも、
ありえないような弦の巻き方
をするように骨組み作った方が楽しいんじゃないのかなぁ。
よっぽど植物の習性を学んだり、各自が個性を出し合って楽しくなったりしそうなのに。
教える先生も画一的な指導しかできないから大変だろうなって思います。
最初はふざけてても、楽しければいつの間にか一所懸命になるのが子どもなんじゃないかな。
反則してボールを持って走らなければ、ラグビーという競技が生まれなかったように。
課題そのものよりも、どこまで自由を許すか?ですね。まずは許してみないと始まらない。
何を教えるかにもよりますが、教えたいことが本当に伝わる教え方の工夫くらいは、
現場の先生の裁量があってもいいかなと。しかし、多くの大人がそうであるように
各自創意工夫を凝らして、よりよりやり方でやりなさいと言われると困ってしまう
というのが本当の問題ですよね。結局、与えられた課題をやる方が心は気楽です😅
そういう点では、中高一貫校は個性があり子どもの個性を伸ばしてくれる可能性があります。
娘にとっても、
ここがいい!🤩
ここが好き!😍
という学校を見つけられたらいいな~と思います👋