仕事柄、外国人の方と接したり海外に行くことが多くあります。
時々感じていながらうまく言葉に落とし込めていなかったのですが、最近
もしかしてこういうことかも?🤔
と思ったことがあります。
何のことかというと、
(資源などの)もったいない
のことです。
ちなみに、日本と外国のどちらが良いという話ではなく、
違うもんだなぁ😮
という話です😅
食事でも何でも、日本人は
もったいないから残さない(残すのは悪いこと)
というメンタルを持っていると思います。私はそうです。
たとえ外国の方から
それは違うよ!
と言われても、
少なくない日本人がそう思ってる
と答えるしかありません。ただ必ず
私がそう思うことと、あなたが間違っていると私が思うかは別
と付け足しますが😅
もっとも、多くの場合は
君はそういう考えなんだ。私とは違うね
で、どちらが正しいかという話にはならないです。
たとえ少し偏った考え方をしていても、そのことを変えさせようとしないのは、
相互尊重であったり、単にドライだったり
ということもあります。
ことの是非より重要なことがあると考えているのかもしれません。
日本人のもったいないは、
資源や自然を命や財産と考え、無駄にすることへの反省から来る
ではないかなと私は感じます。
難しいのは、この考え方だと
やらなければマイナス
やるのは当たり前だからやってもゼロ
となりがちなところかもしれません(減点方式?)。
でも外国の方々は
「もったいない」は資源を大切にするための善行であって、
やらなくてもゼロ、やればプラスになること
と考えているように感じます(加点方式?)。
たとえばSDGsブームとかでも、
それは善い行いだからするのであって、
やればプラス、やらなくてもゼロ
みたいな感じです。
この考え方の違いは結構大きいんじゃないかなぁ🤔
と思います。
お互いにありのままで、そのことの是非は特に問わない
これは私が、日本人として外国の方から学んだと感じていることでもあります。
彼らが熱い議論に慣れているのは、
お互いに違って当然
という前提が不文律として共有されているからなのかもしれません。
なのであまりにも前提や基本が違う考え方を一方的に続けると、
良い意味で流されます😅大人対応されるというか😓
君に譲れないものがあるのはわかったよ
でさらりと終わりです。
息子や娘の中学受験を見ていて思うのは、入試というものが選抜試験である以上、
極力公平に選抜できるよう答えはひとつになっていて、
決まった考え方を求めている
ように見えることです。多様性を尊重すると謳っている学校でも、
結構答えはシビアで正確性を求めてきたりします。
でも実際は考え方を縛っているのではなく、
これからの学びに必要な型を身につけている
のだと思います。
この違いは小学生には難しい気もしますが、中学受験を通して
世の中って単純じゃない
とストレスを感じつつ、中高一貫校でゆっくり学んでいくのかもしれません。
中高一貫校には個性があって多様性にあふれているのに、
中学受験勉強の内容はそれほど多様でないのは興味深いです。
私は、子どもたちに考え方や価値観を伝えているのだと思いますが、
成長につれて反論されたり疑問を呈されたりする機会は増えてきます。
生きている時代、その時のコモンセンス的な背景の違いを感じます。
昭和に育った者と平成・令和に育った者の違いでもあります。
「違い(相互尊重)」という概念を知って始めて、他者から学べることが増えます。
子どもから学ぶことも楽しくなります。
中学受験も本当はゆっくり時間をかけて学んだ方が楽しいだろうなぁ🤔
タイムリミットがあるためにそうできないのは、
それこそ何だかもったいないなぁと思いました😅👋