議論の場では、お互いの考えを理解することや、次に進むべき道を決めることが求められたりします。
こういう時、人によって理解に至るスピードが違うことはよくあります。
特に難しいのは、
自分が何をわかっているか?
自分がわからないことは何か?
自分は何がわからないかすら、わかっていないのではないか?
を区別できる人と、そうでない人が混ざってる場面だと思います。
そんな時、わかっている人や説明する立場の人が
説明しました。みなさんわかりましたね?わからなかったら言って下さいね
と言ったとします。わからなければ聞いていいというので尋ねてみると、
それは先ほど説明しました
と言われたとします。さて、これでわからない人はわかるようになるでしょうか?
なりませんよね😅
これって自分が説明する側だと意外とわからないものだと思います。
少なくとも
頭ではわかっていても、感情面では「何で伝わらないのだろう?」と思ってしまうこと
は、あると思います。
新しいスマホや、新しいサービスを初めて使う前に説明を30分も聞かされた
全部頭に入るでしょうか?🤔
でも説明する側になると
この説明はとてもわかりやすくまとめてあるから、誰でもわかるだろう
と思ったりするんですよね。
説明を聞いて自分なりに理解したと思える段階に至る所要時間は人それぞれ
です。早いことは良いかもしれませんが、遅いことが悪いとは限りません。
私が説明する側の際に注意しようと思っていることは、
何度も説明が必要なこともあるかもしれない
説明をした後、相手はゆっくり考える時間を取ってもらうことも必要
です。
何かをわかってもらわなければならない場合、主導権は聞く側にある
ということです。仕事でもこの心を保つのは大変なのですが、
実はこれ、子どもに何かを伝える時にも当てはまる😱
と思っています。
新しい単元や単なる数の性質(ゲーム感覚のない抽象的概念そのものの問題)に入ると、
苦しそうに、逃げ出したそうになることがあります。
こういう時は、とても難しいと思います。
子どもは既に「わからない」「とても不安だ」というストレスにさらされています。
もう説明がまったく耳に入らない状態(追い詰められた心境)
ということもありえます。
早く楽にしてあげたくて、あるいはわかる楽しさを伝えたくて、手を変え品を変え説明することが、
かえって子どもを追い詰めてしまって逆効果になることも😵
これは明らかに
すぐにわかるのは無理なので、時間がかかるというサイン
なので、理解させようとするのを諦めた方が良いこともあります。
1回説明してわかることもあれば、10回説明しても伝わらなくて、
忘れた頃にもう一度説明したらすぐわかるようになった、ということもあります。
そう考えると、
わからなくても、悔しそうにしながらも一所懸命頑張っている子どもは尊い😭
とも思うようになりました。その頑張りは何物にも代え難いものだと。
最近パズル道場のテキストがさらに難しい内容に入ってきて、
もう十分なんじゃないかな🥴
と思うことがあります。娘が全然やめたがらないので、少し心配しています😥
ゆっくりわかってくれればいいやと思える3年生の前半・・・。でも。
もうすぐ
そんなこと言ってられないよー!課題がたまっていく一方だよー😭
という日が来ると思っています。
大人は1年先も推測できるので、現状の課題と照らし合わせてものすごく焦るのですが、
子どもは1年先なんて何も思い浮かばないので
まだ余裕でしょ~😉
なんて思ったりもするのです。4・5年生なんて、考えるのが怖い気もします。
そんな時に余裕がなくなって、
この問題は前にも説明したよね!😡
とならないよう、いつかこの記事を振り返ろうと思います👋