私は上の子の中学受験を始めるまで、
中学受験のことをまったく知らなかった
という、
結構のんきな人間
です。中学受験を知らないことが「のんき」という意味ではありません!✋
私は
生まれてから大学に行くまで23区内で育った人間で、
同級生が中学で何人も居なくなった(別の学校に行った)意味に気づかなかった
というところが、「のんき」を通り越して注意力のない人間だということです😓
ちなみに小学生の頃から忘れ物王で、どんなに頑張っても必ず何かを忘れてしまい、
いつも掲示板に貼りだされていました。
※当時「忘れ物をすると表に書かれて貼り出される」という公開処刑システムがあり、
「どんなに頑張っても明日は今日と違う物を忘れてしまう」という私は、
他の追随をまったく許さないキングオブキングスでした。
今でも、関心のないことはまったく頭に入らない、ぼんやり人間でもあります。
小学生の頃に友だちが塾に行ってると聞いた時も
塾に行かなければならないほど学校の勉強が難しいのかぁ・・・
と、のんきに思っていたくらいです😂中学校に上がった時も
居なくなった同級生は学区が違うんだなー🤔
と勝手に思ってました。中学受験なんて知らなかったし😓
自己中心というか、
人は自分の観たいものを見る、自分の世界が普通や常識と思う生き物である
です🤣
知識がなければ想像すらできない
の典型ですよ😓(だからこそ、まずは知識を身につけなければ思考力は育たない、です)
妻も中学受験の世界を知らなかった人間なので、私たちは夫婦そろって
上の子ではじめて中学受験の苦しさと喜び
の両方を味わいました。
上の子の中学受験は本当に手探りで、考えられるすべてのことに親も挑戦しながら、
カリキュラム学習とともに中学受験という世界についても学んでいきました。
なので上の子の時は
”カリキュラム学習”の目的は受験校の合格
以外に疑いようがありませんでした。子どもに教えるために私が4科を学ぶ時は
初めて知る中学受験の学びが面白い
という感覚もありました。しかし、
「教えるために学ぶ」と思った瞬間から、心の余裕はなくなった
でした😱
感覚的な話で申し訳ないですが伴走の感覚が違うのです。
一周目の時は私も「先」を知らなかったので、
真横で一緒に走っている(自分も必死💦)
という感覚でした。しかし二周目は、
カリキュラムでどんなことを”教わる”かがわかる
ので、学びの面白さを意識する余裕があります。そのため
上の子の時は「子どもは合格のための学び」で私は「教えるための学び」
でしたが、
下の子(今)は、親子そろって「学びを深める」
という違いを感じます。どこまでも感覚的な話ですみません😓
もしかしたらこのような感覚では、驚くほど多い中学受験4教科の学習を終わらせることは
できないかもしれません、今回も・・・😰。ですが、
基礎に時間がかかりすぎてしまったり、ほかの子より遅れるようなペースになったとしても
せっかくの中学受験カリキュラムを丁寧に学びたい
という想いは、二周目の方が強くなりました。
上の子の時は
中学受験って、高いお金を払って「合格」を買うような世界なの?寂しいなぁ😭
と思ったこともありましたが、今は
高いお金を払って買っているのはコンテンツ。闇雲に消化しないで中身を味わおう
と思うようになりました。
おかしな話かもしれませんが、中学受験の学習内容そのものに価値を感じるようになりました。
何いってんの?合格のためにやるんでしょ?
大学だって学歴のためじゃない
という声はあると思いますし、それはゼロではありません。
でも本当かどうかはわかりませんが、
ゴールデンエイジで子どもが大きく育つ時に、中学受験の学びは脳への素晴らしい刺激
という話もあるようです。最近娘の発達も目に見えて感じますし、とても興味があります。
※この話はもう少し調べてから、別の記事にしたいと思います。
本当であるならば、中学受験こそ
薬も過ぎれば毒となる
の通りなのでしょう。せっかくのゴールデンエイジ。
薬(コンテンツ)の強さと娘への適量(個人差)には注意したいです🧐
娘に伝わるかはわかりませんが、
中学受験で学ぶ内容って本当に面白いんだよ~!🤗
と言えるようになりたいなと思います🤔
(ちなみに上の子は、中高一貫校で”学び”の学習中です😅中学受験して良かったです👏)