2023年11月8日に発売された、文英堂の新傾向・集中レッスンシリーズ。
本の紹介は今日が最後の一冊になります(まだ4冊しか出てないので)。
(前回の記事、算数 ルールの問題の紹介記事はこちら)
girl.chugakujuken-challenge.work
今回は
です。
内容的には面白いといえば面白いのですが、
あれ?これって新傾向?🤔けっこう前からあったんじゃない?🤨
と思いました。
図形も点も、昔から動いてたし、ついでに面積とか求めてなかったっけ?
と。
ただ、考え方が面倒かな?と思う傾向の問題を、うまくまとめていると思います。
個人的には速ワザ算数シリーズを全部やれば、カバーできるんじゃないかな?とも思います。
最近増えてきているというのであれば、ホットなのかもしれません。
もしかしたら今の5~6年生には、ちょうど役立つのかも?🤔
今度合不合テストの問題でも調べて、分析してみようかなと思います。
(ここからは余談)
実は今気づいたのですが、この新傾向・集中レッスンも、速ワザ算数も、同じ著者なのですね😮
粟根秀史さん。知らなくてごめんなさい😥ですが、SAPIXの校舎責任者もやってた著名人でした。
(速ワザ算数の著者紹介から抜粋)
著者紹介
あらら、上の子がお世話になって役に立った「最高水準問題集」も、粟根さんでしたか。
ネット記事でも、私が前回書いたこととほぼ同じことが既に書かれていました(げっ😱)
連立方程式がなくても解ける。
そうなんですよね~。そして記事に登場する武蔵中学の岡崎先生の言葉が、意味深長です。
引用します。
「中学への算数」(2020年1月号)の学校訪問コーナーで、武蔵中学校が取り上げられた記事では、「小学生も方程式や文字式を使ってしまえば良いのか」というインタビューの問いに対して、数学の岡崎先生は次のように答えています。
「いえ、やはり子供たちの成長段階にあった学習というのがあって、将来的に数学になるから、小学生のうちから数学やれば良いじゃん、というのはちょっと違うように思います。例えば小学生のうちは、具体的に見えるもので学ぶべきだと思うので、関数だとか文字式だとかを扱うよりも、具体的な値で解いた方が良いでしょう。数学というのは小学生には抽象的すぎる内容もあると思います。また、受験算数で色々な問題で経験を積むことはとても重要で、将来数学を勉強して、抽象概念化した時でも、具体的なイメージがしやすくなるのではないかと思っています」
私はこの、武蔵のスタンスが本質を捉えていると思います。解ければいいや、ではないのです。
数学や物理の内容を、単に暗記するように脳に記録していくだけでは、
生命にしては優秀なストレージデバイスである
に過ぎません。頭に入れることが目的ではなく、
脳そのものを育てて、最終的に学問と向き合えるようになる
というのが、人間らしいところです。
AIがいつ人格や本能を持つのか、永遠に持たないかはわかりませんが、
現段階でAIと人間を大きく分けると私が思うのは
人間だけが、学びたいという欲があり、ともすれば学ぶこと自体が目的になる
という特徴です。他の動物でも、学習のために何かを訓練するというのは稀ではないでしょうか?
このような観点からも、私は
上の学年の問題(特に算数)は、先取りをしないこと
を守ろうとしています。先に抽象的なことを覚えてしまうと、危ない予感がするのです。
高学年で「手が止まる子」になりそうに思うのです。
そもそも今できることがもうなくなって、勉強が退屈で仕方ない!という状態にもなっていないのに、
中途半端な本質理解で「できたことにして先に進む」に、何の意味があるのだろう?🤔
と思ってしまうのです。確かに高学年は時間がないので、貯金が欲しくなる気持ちはわかります。
でも・・・私はそれが、中堅校以上で通用するように感じられません。一周目で見た限りでは。
武蔵の岡崎先生が「小学生は具体的に見えるもので」とおっしゃっているように、
最初から抽象的なものを重視し過ぎると
そういうものだ
という覚え方しかできなくなりそうです。初見の問題に出会った時に、
これはどのパターンの問題だろう、とりあえずいろいろな解法を当てはめてみよう
全然わからない、ダメだ(手が止まる=思考停止)
ということが起こりかねません。抽象から入って抽象を覚える=知識化に偏ると
「具体→抽象」のプロセスが発生しない思考回路になると思います。
大量の知識を投入し、処理能力で中学受験を突破することはできるかもしれません。
しかし、いつまでそれで乗り切れるでしょうか?
最後は”試験”ではなく”試練”です。生きることは試験ではなく試練の連続だと思います。
人生は誰かが用意した問題を解いていくものでなく、自分の人生を自分でどうにかして、
納得いくように作っていきたいものだと思います。
知識と処理能力に頼った生き方に、私はどうも懐疑的です。しっくりこなくて😓
子どもたちを、
「勉強はできるよね」とか「勉強しかできないよね」
と言われるような人間に育てたくないと思っています。人としての価値うんぬんではありません。
勉強ができることは知識社会で一定の貢献を果たせると思います。
そうではなくて、やがて子どもたちが自分を幸せだと思えるように、少しだとしても、
必要とされる=自信を持って生きられる
そういう人間に育てたいのです。先ほどの抽象から入ったら~の話になぞらえるなら、
具体的な生身の人間を観ずして、机上の論理で人を管理するような人間は大丈夫か?
ということです。どんなに政策が正しくても、生身の人間の支持を得られなければ、
実行するのは困難でしょう。世の中は具体ばかりです。低学年のうちから抽象に傾斜し、
その目的が「単なる先行逃げ切り貯金」に過ぎないのなら、世の中に出た後で苦労しそうです。
その頃に「親(私)の責任ではなく大人になった我が子の問題」というのは、酷でしょう。
親として、勉強でなく、なぜ生きるために必要なことを教えなかったのか。
余談の方が長くなってしまいましたが、すべて粟根先生が悪いと思うことにしておきます😅
著書の紹介をしたということでお見逃しを~🙇