一人目(2021年)の経験と現在進行中の取り組みを中心に記事を書いています

少しでも、誰かに役立つ内容や共感できる話になれば嬉しいです(一人目の時は初めてで大変でした)

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新傾向・集中レッスン 算数 図形の問題

2023年11月8日に発売された、文英堂の新傾向・集中レッスンシリーズ。

本の紹介は今日が最後の一冊になります(まだ4冊しか出てないので)。

(前回の記事、算数 ルールの問題の紹介記事はこちら)

girl.chugakujuken-challenge.work

今回は

www.bun-eido.co.jp

です。

内容的には面白いといえば面白いのですが、

あれ?これって新傾向?🤔けっこう前からあったんじゃない?🤨

と思いました。

図形も点も、昔から動いてたし、ついでに面積とか求めてなかったっけ?

と。

ただ、考え方が面倒かな?と思う傾向の問題を、うまくまとめていると思います。

個人的には速ワザ算数シリーズを全部やれば、カバーできるんじゃないかな?とも思います。

最近増えてきているというのであれば、ホットなのかもしれません。

もしかしたら今の5~6年生には、ちょうど役立つのかも?🤔

今度合不合テストの問題でも調べて、分析してみようかなと思います。

 

(ここからは余談)

実は今気づいたのですが、この新傾向・集中レッスンも、速ワザ算数も、同じ著者なのですね😮

粟根秀史さん。知らなくてごめんなさい😥ですが、SAPIXの校舎責任者もやってた著名人でした。

(速ワザ算数の著者紹介から抜粋)

著者紹介

教育研究グループ「エデュケーションフロンティア」代表。森上教育研究所客員研究員。大学在学中より塾講師を始め、40年に亘り中学受験の算数を指導。SAPIX小学部教室長、私立さとえ学園小学校初代教頭を経て、現在は算数教育の研究に専念する傍ら、執筆・講演を行う。新聞・雑誌等で教育コラムの寄稿多数。また、独自の指導法によって「算数オリンピック金メダリスト」をはじめとする「算数オリンピックファイナリスト」や灘中、開成中、桜蔭中合格者等を多数輩出している。『中学入試最高水準問題集算数』『中学入試分野別集中レッスン算数シリーズ』(いずれも文英堂)等著作多数。

 

あらら、上の子がお世話になって役に立った「最高水準問題集」も、粟根さんでしたか。

 

ネット記事でも、私が前回書いたこととほぼ同じことが既に書かれていました(げっ😱)

www.yomiuri.co.jp

連立方程式がなくても解ける。

そうなんですよね~。そして記事に登場する武蔵中学の岡崎先生の言葉が、意味深長です。

引用します。

「中学への算数」(2020年1月号)の学校訪問コーナーで、武蔵中学校が取り上げられた記事では、「小学生も方程式や文字式を使ってしまえば良いのか」というインタビューの問いに対して、数学の岡崎先生は次のように答えています。

「いえ、やはり子供たちの成長段階にあった学習というのがあって、将来的に数学になるから、小学生のうちから数学やれば良いじゃん、というのはちょっと違うように思います。例えば小学生のうちは、具体的に見えるもので学ぶべきだと思うので、関数だとか文字式だとかを扱うよりも、具体的な値で解いた方が良いでしょう。数学というのは小学生には抽象的すぎる内容もあると思います。また、受験算数で色々な問題で経験を積むことはとても重要で、将来数学を勉強して、抽象概念化した時でも、具体的なイメージがしやすくなるのではないかと思っています」

私はこの、武蔵のスタンスが本質を捉えていると思います。解ければいいや、ではないのです。

数学や物理の内容を、単に暗記するように脳に記録していくだけでは、

生命にしては優秀なストレージデバイスである

に過ぎません。頭に入れることが目的ではなく、

脳そのものを育てて、最終的に学問と向き合えるようになる

というのが、人間らしいところです。

AIがいつ人格や本能を持つのか、永遠に持たないかはわかりませんが、

現段階でAIと人間を大きく分けると私が思うのは

人間だけが、学びたいという欲があり、ともすれば学ぶこと自体が目的になる

という特徴です。他の動物でも、学習のために何かを訓練するというのは稀ではないでしょうか?

このような観点からも、私は

上の学年の問題(特に算数)は、先取りをしないこと

を守ろうとしています。先に抽象的なことを覚えてしまうと、危ない予感がするのです。

高学年で「手が止まる子」になりそうに思うのです。

そもそも今できることがもうなくなって、勉強が退屈で仕方ない!という状態にもなっていないのに、

中途半端な本質理解で「できたことにして先に進む」に、何の意味があるのだろう?🤔

と思ってしまうのです。確かに高学年は時間がないので、貯金が欲しくなる気持ちはわかります。

でも・・・私はそれが、中堅校以上で通用するように感じられません。一周目で見た限りでは。

 

武蔵の岡崎先生が「小学生は具体的に見えるもので」とおっしゃっているように、

最初から抽象的なものを重視し過ぎると

そういうものだ

という覚え方しかできなくなりそうです。初見の問題に出会った時に、

これはどのパターンの問題だろう、とりあえずいろいろな解法を当てはめてみよう

全然わからない、ダメだ(手が止まる=思考停止)

ということが起こりかねません。抽象から入って抽象を覚える=知識化に偏ると

「具体→抽象」のプロセスが発生しない思考回路になると思います。

大量の知識を投入し、処理能力で中学受験を突破することはできるかもしれません。

しかし、いつまでそれで乗り切れるでしょうか?

最後は”試験”ではなく”試練”です。生きることは試験ではなく試練の連続だと思います。

人生は誰かが用意した問題を解いていくものでなく、自分の人生を自分でどうにかして、

納得いくように作っていきたいものだと思います。

知識と処理能力に頼った生き方に、私はどうも懐疑的です。しっくりこなくて😓

子どもたちを、

「勉強できるよね」とか「勉強しかできないよね」

と言われるような人間に育てたくないと思っています。人としての価値うんぬんではありません。

勉強ができることは知識社会で一定の貢献を果たせると思います。

そうではなくて、やがて子どもたちが自分を幸せだと思えるように、少しだとしても、

必要とされる=自信を持って生きられる

そういう人間に育てたいのです。先ほどの抽象から入ったら~の話になぞらえるなら、

具体的な生身の人間を観ずして、机上の論理で人を管理するような人間は大丈夫か?

ということです。どんなに政策が正しくても、生身の人間の支持を得られなければ、

実行するのは困難でしょう。世の中は具体ばかりです。低学年のうちから抽象に傾斜し、

その目的が「単なる先行逃げ切り貯金」に過ぎないのなら、世の中に出た後で苦労しそうです。

その頃に「親(私)の責任ではなく大人になった我が子の問題」というのは、酷でしょう。

親として、勉強でなく、なぜ生きるために必要なことを教えなかったのか。

 

余談の方が長くなってしまいましたが、すべて粟根先生が悪いと思うことにしておきます😅

著書の紹介をしたということでお見逃しを~🙇