2028中学受験(女子)in SAPIX

2028年2月に中学受験予定のブログです。SAPIXで勉強中。

一人目(2021年)の経験と現在進行中の取り組みを中心に記事を書いています

少しでも、誰かに役立つ内容や共感できる話になれば嬉しいです(一人目の時は初めてで大変でした)

すべての中学受験(親子)を応援します!

新指導要領とアクティブ・ラーニング

2020年に行われた一連の教育改革(指導要領の改訂を含む)は、

大学入試に影響を与え、中学受験にも影響を与えたと考えられます。

次の改訂は2027年頃と言われていて、逆算すると今年がその答申まとめでした。

文科省のホームページに概要やなが~い本体が掲載されています。

www.mext.go.jp

 

前回の答申(2018年)と今回の答申を比べると、割りと興味深いと思います。

個人的には、

前回の方が抽象的で、今回の方が課題と対象は具体的

と感じました。

一方で前回に続き「アクティブ・ラーニングの充実」が求められていると感じます。

アクティブ・ラーニングという響きはどこか心地よく聞こえるかもしれませんが、

具体的にどういうことよ🤔

という気はしないでしょうか?なんだか、とにかくそれぞれが意見を出し合い議論する、みたいな。

 

ネットで検索すると以下のように出てきます。

career-ed-lab.mynavi.jp

アクティブ(Active)の反義語はパッシブ(Passive)ですから、簡単にいえば

受動的(受け身的=パッシブ)でなく、能動的(能動的=アクティブ)に学ぼう

ということです。

先生の話を一方的に聞き、座学で物事を覚え試験を受ける=パッシブ

与えられたテーマに対して自分の考えを述べ、対話をしながら学ぶ=アクティブ

といえば、少し具体的になるでしょうか。

 

教育に危機感を持つ人や、指導要領に疑問を感じている人は警鐘を鳴らしていますが、

この方針には大きなリスク、すなわち「さらなる教育格差の拡大」がありそうに感じます。

まずアクティブ・ラーニングの基本には

テーマを理解し、自らの考えをまとめ、他人に説明し相手の意見も聞く

という姿勢が”全員に”求められています。全員に等しく能動的な参加を求めるということは、

進行役となる教師が、授業時間内に全員から意見を引き出すことを求められる

という高いハードルが課されます。座学の授業ですら理解度がおぼつかない生徒も居て、

授業ペースを落としてでもどうにか全員に単元の終わりまで説明していたものが、

今度はテーマ理解、考えのまとめ、他の生徒との対話

を通して単元を終わらせるという形に変わる、と考えられます。

 

アクティブ・ラーニングでは求められるベース学力が高く設定されるのです。

自分の意見を持つというのは、好き勝手に考えて良いというわけではありません。

保護者の中には

色々な意見があり、それは個性として良いものだ。子供らしさや多様性が大切だ

と好意的に受け止められる方も少なくないと思います。

では、

テーマや他人の意見を否定的に言う(場を壊す)

テーマと関係ないことを話す

度が過ぎた遊びや悪ふざけに走る

といったことも個性や多様性に含めるでしょうか?

時には個人の権利よりも公共の福祉が優先されるように、

社会維持が最優先されるという前提で、個性や多様性が存在できる

というのが真実のはずです。快楽殺人者を個性として許容できないように、

アクティブ・ラーニングは

前提知識を持っていて、集団での対話に参加する準備ができており、

他者の意見をよく聞き、理解した上でお互いを高められる

という、ハードルの高いアプローチを公教育に求めていると思います。

 

ところが、この難しいアクティブ・ラーニングをごく自然に実現できている環境があります。

それが、進学塾や中高一貫校の授業です。

私のブログでも度々出てくる啓明館などは、いつ授業を見学しても

生徒が先生と対等かのように、しかもほぼ全員が自由に発言しながら授業に参加

しています。教材が面白く、そしてさらに先生が面白いのです。

中高一貫校(すべてとは言いませんが)も、面白い先生の授業は似たようなものでしょう。

 

お気づきでしょうか?

 

アクティブ・ラーニングとは、

生徒に能動的になりましょうと呼びかけるものではなく、

教える側が生徒の意欲を引き出し、能動的に参加できるようにしましょう

というのが正しいのだと、私は思います。

すべての先生、ましてや公教育に求めるなら、そのような先生を育てるための仕組みが不可欠です。

アクティブ・ラーニングを標榜し、ICTやDXと絡めた説明をする学校が増えていますが、

そのような学校こそ、

先生にはどんな研修を行っているか?を尋ねる

学校訪問で実際の生徒に「先生の授業は面白くて活気があるか?」を聞いてみる

という確かめ方が有効でしょう。本当の意味でのアクティブ・ラーニングを実践している学校なら、

子どもは楽しく通えるようになると思います。

 

一方で、生徒に半強制的に対話をさせよう、意見を修正したり指導しようとすると、

画一的な意見に集約されて、形式的に対話をする

ような状況を招きそうに思います。

見かけは生徒が意見を言うものの、中身はよりパッシブ・ラーニングに近いです。

 

公教育でアクティブ・ラーニングが難しくなるもう一つの理由は、

生徒の多様性の振れ幅が大きい

と考えられます。塾や中高一貫校がアクティブ・ラーニングを実現しやすいのは、

面白い先生やプロ講師の存在があるから、ではないと思います。起爆剤ではありますが。

簡単にいえば、

塾や中高一貫校は選抜があり、既に一定の習熟度クラスが成立しているから

です。語彙や処理能力などを総合した”学力”が揃っているからこそ、意見を出しつつも

同程度の仲間の意見に理解が示せるのだと、私は思います。

それほど面白くない先生でも、テーマが面白かったり、ムードメーカーが居たりすれば、

アクティブ・ラーニングは実現できそうに思います。

 

習熟度である程度の均質性が保証されている状況ではない、という中で

形だけアクティブ・ラーニングを導入したら?🤔

 

私は、

特定の子が目立つ、張り切る

能力はあっても表に出すのが苦手な子へのケアが不足する

アクティブ(能動的)でないだけでネガティブなイメージを持たれる(ザ・内申点😱)

といったデメリットが心配になります。

 

アクティブ・ラーニングは授業の様相を示す結果であって、生徒の意欲を測るものではないです。

しかしテストの結果だけでなく能動性まで見られたら、多くの人間に広く教育機会を与える、

という公教育の理念が揺らいでしまう気がします。

 

これが冒頭で述べたような「教育格差の拡大リスク」のことです。

能動的な子が優遇される、塾や中高一貫校に進んだ子がますます有利になる

といったことが正当化されそうで怖いです。

コロナ禍の対応や教育改革への対応という話よりも、環境を手に入れるという意味で、

私は中学受験を選択しています。

 

ジレンマはありますが、娘には

中学受験は選択しているのであって、理由があるんだよ

ということを、慎重に、丁寧に伝えていこうと思います。