ここ1か月ほど中学受験国語の読解の記事を上げている間に、考えたことがあります。
それは「文系・理系」という表現についてです。
一般的に「文系・理系」という言葉と分け方が定着しています。
文系科目・理系科目という表現への違和感はありませんが、
文系タイプ・理系タイプという表現には違和感がありました。
語学堪能だから文系だよね
数字に強いから理系だよね
というステレオタイプ的な感覚への違和感です。
中学受験国語の記事を書いてきて、やっと違和感の理由に気づいた気がしました。
これまでに中学受験の国語で求められる読解力と表現力の重要性に触れてきて、
国語も、一つに収束される立派な答えがある論理科目である
感性に頼った解き方は、問題ジャンルへの親近感に左右されて国語力は上がりにくい
と述べてきました。
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国語も、論理思考による分析と検証を行う、いわゆる”理系”だと私は思います。
むしろ作品の製作、創作活動といったものが”文系”なのではないかとも。
現代では経済学にも工学的アプローチが必須で、数学が必要になったりします。
何かを作る際の仕様作成も、論理思考・仮説思考の塊で、最後に抽象化を行います。
外国語を学ぶにしても、辞書によって言葉の定義や用法に大きく乖離があれば、
語学に取り組むのは難しいでしょう。
言葉の地域性(方言)の違いを調べ出したら、もはや語学でなく社会学に見えます。
したがって、私はすべての学問が”いわゆる理系的”なものだと思います。
論理思考や仮説検証サイクルを身につけておけば、文系科目、理系科目やその職種に進んでも、
そのスキルは役立ちそうです。もちろん感性や勘で属人的スキルを高めるのは良いと思いますが、
それは本人が言語化していないだけで、本人の中では論理的に構築されている
に過ぎないものと思います。つまり、
すべては理系的といわれるアプローチに基づいている
という意味です。感性ですら本人の中にはロジックがある、と。
言い換えれば、文系タイプ(論理的でない)みたいな人は現実には考えにくいと思います。
少しだけ雑にまとめれば
数字に強い≠理系(例:計算は早いが文章題は苦手。コスパ比較は強いが物の価値判断は苦手)
論理的である=理系的思考=ほぼすべての人がそうだろう
という話です。
ですので文系科目・理系科目はあると思いますが、人間として文系タイプ・理系タイプを区別して、
この子は文系タイプだから〇〇(理系科目)を強化して理系にしなくちゃ
とか
この子は理系タイプだから△△(理系科目)が向いている
と判断するのは、論理的じゃないなぁ🤔と感じます。
少し考えると面白いなと思うのですが、理系に進んだ人の社会的出口を考えた時に、
数字や論理に強くて他人とのコミュニケーションに問題がある医者
数学的合理性と経済性至上主義で、常に同じ様式の家を設計する建築デザイナー
統計処理や数理モデルは完璧なのに、世間に興味のないマーケターやデータサイエンティスト
というのは全然OKですか?
病院でそっけない先生に幻滅したことはないでしょうか?
医師や病院システムがすべて理系の産物、働く人も理系だらけとするならば、
どうしてあれほど非合理に受付・診察・会計・処方(薬)が分かれていて病院側も不便なのに、
合理的に解決しようという人が現れないのでしょうか?
数字に強くてもちっとも論理的・合理的じゃないですよね。
私は、文系タイプ・理系タイプというのは幻想で、
スキルの話と適性の話が混ざっている
というのが問題なのだと思います。
足が速いから陸上選手に!と思っても、本人は水泳が好き
サッカー好きだけどものすごく下手。だけど戦術や人の育成に才能がありそう
など、持っているものと活かす場所の混同です。
もし仮に今後、娘の算数の成績が伸びていったとしても
この子は理系に進んだ方がいい!
と考えたくないと思っています。逆に国語が伸びたとしてもです。
持っている能力やスキルを活かせる社会活動分野があったとして、
そこに進むための最適な進路はどういうものか?
を考えてあげたいと思います。能力・スキルとは切り離して、です。
もちろん、進みたい方向への能力開発、スキル獲得は必須です👍
どうなるかわからない世の中だから理系に進めば安心。算数と理科を強化しよう
という発想はしません。
もしかしたら
医者は溢れているけど、医療向けAIを開発して医師をサポートする方が生き残れる
といった状況が発生するかもしれません。しかしそのAI開発に求められる人材は
自らプログラミングすることはしないが、様々な国の文化を知っていて
プロジェクトマネージャとして多様な人材を活かしていける人
だったりします。その場合、適切な人材の根っこにあるのは
中学受験で社会に興味を持ち、中学・高校でどっぷり社会科に取り組んだ経験
かもしれません。ステレオタイプ的にいえば、全然”理系”じゃないですよね🤣
スキルを活かすのは適性だと思います。しかしスキルから適性を予測するのは難しいです。
※言葉としての「適性」は「合っている・”能力”がある」と説明されますが、
ここでは進路としての適性で「性格や性質がその進路に合っている」という文脈で
使っています。したがって、能力やスキルから特定の進路が最適だと予測するのは難しく、
逆に性格や性質がある進路に合っているなら、その進路で本人の能力やスキルを活かす
職種や職場を探すことが良いだろう、ということです。
子どもたちにはスキル開発と同時に、自らの適性を考えてもらいたいと思います。