今日は2本の記事を上げたのでもう書く予定はなかったのですが、
AERAが気になる記事を上げていたのでブログのおかわりです。
ますます長文化、難解化していく受験の問題文に関する記事でした。
近年は国語以外の教科も問題文自体が長文化している
もはや問題文をすべて読んでいたら試験時間が足りない
読解力というより高度な情報処理能力を求められているといえる
全文を読まず設問に該当する箇所だけを読んで解答するテクニックに頼らざるを得ない
本来はテクニックでなく読解力の向上を国語で教えなければならないが、
今の国語はそのような授業になっていない
=登場者の心情を掘り下げるような授業では、長文を読む力が育たないということ
問題文を飛ばし読みして解答を作る力をつけるのは、果たして学習といえるのか?
といったことが書かれていました。なかなか理解が難しい記事でしたよー😓
え?どっちのことを言いたいの?🥴もしかして私が”いま”読解力を問われてる?😬
と思わされました。勘弁してよ😩
で、詳しくはAERAの8月7日発売号を・・・って、宣伝かー✋(ビシッ!)
たぶん記事が言いたいことは
文章を読んで情報を整理する力を育てなければならないのに、
感想を話し合ったりする授業では国語力は育たない。
なのに問題だけ長文化・複雑化するから、処理能力が追いつかずテクニック偏重となった
ということでしょう。そうですね。概ね同意です。
物語文に移入しすぎず、あるいは論説文の賛否に肩入れせず、
単語や段落ごとの趣旨を拾い集めて文章を論理的に分析する
というのが国語力を高めるということ。国語は論理で解く。公式で解く。
二月の勝者(第4巻・第30講)でも出てました。解説でなくサラッと話題に出ただけですが。
私は上の子の時に早稲アカで聞き「なるほど!」と少し感動したので、記憶に残りました。
実際、中学受験塾の国語はそういう授業をして、その方法での解答作成を指導されます。
言うなれば、
学校が行っていないとされている国語力の指導は、中学受験の授業で行われている
ということです。
中学受験を経験した中学生と、そうでない中学生の国語力の差は一般的に存在すると思います。
私が思うところでは、読む力と表現する力はまったく別の能力だと思います。
物事を深く理解すれば、万人が理解できるように表現を再構築できる
というのは、私は違うと思っています。
深く理解する力と他者に伝える力は、まったく別の能力です。
今日の話は”読む力”についてです。
うちの娘は、
読書が大好きで習っていない漢字も読めたりするが、読書感想文は大嫌い
という状況です。
言語での表現力が育つまでは、このギャップのままでいいと思っています。
むしろ読書感想文は絵やイラスト、マンガでもいいのです。
それを文字として起こすのは、長年国語を使って生きてきた大人がサポートできますから。
AERAの記事が警鐘を鳴らしている内容から踏み込んで言えば、私は
まず読む力、情報を処理する力を育てること。感情移入や論旨の是非を求めない
という国語指導が必要と思います。
さて、なぜタイトルが「旅行、読書・・・」なのかというと、
AERAの記事を読む前に本屋に行ってきたからです(👈説明になってないヨ!表現力ないネ!😨)。
既に夏休みの宿題が終わった娘(厳密にはこれから旅行して絵日記を書くところですが😅)
ブログの予約投稿では、8月26日に「VS読書感想文 その3」を予定しています。
が、
旅行の移動中に読む本と、読書カードに追加する本がほしい(👧&👩)
と言われて、娘を連れて本屋に行きました。
宿題や感想文に関係なく本を読みたいなんて・・・すごいな😏
1時間以上、何冊も立ち読みして最終的に娘が選んで買ったのはこの4冊。
「のび太」が教えてくれたこと
びっくり図書館
わたしの苦手なあの子
サッカク探偵団(1)
娘が本を読んでいる間、私はあちこちで立ち読みしたりスマホをいじったり。
よく読むし、読むのも早いなぁと思いながら気長に待ちました😌
そしてAERAの記事がたまたま目に入ったので、記事のタイトルの通りになりました。
読解力、情報処理能力、あるいは精読というと
深く読むことが大事
という感じもしますが、私の感覚や娘の様子を観ている印象からすると逆で、
早く読むことが大事
と思います。私もそうですが、娘もかなり飛ばして読んでいます。最初は雑です。
大雑把な話の流れしか掴もうとしていません。でもこれが精読の第一歩かな、と。
※個人的な考えなので間違っていたらすみません😓
しかし早く読むというのは、”速さ”という意味でのスピードや速読術のことではなく、
あまり考えずに薄っぺらく読むから疲れないので、何周も読むことができる
という感じです。
一周目で頭に入った部分は飛ばせますし、大雑把に話を理解しているので、
タイトルからの類推や先入観を持って読むよりも、
何周か薄っぺらくドライに読むことで、むしろ話が客観的に頭に入る
という感覚を持っています(だから娘は”感想文にできない”と言うのかなぁ、と)。
変なことを言うかもしれませんが、
主人公の気持ちを理解するのに必要なのは感情移入による共感ではなくて、
無情なまでのドライな観察
なのです。「感情移入の共感」だと、実は
主人公でなく”物語の中に入った自分”が、自分の感覚や性格で情況を作ってしまう
という事態に陥りそうです。上の子の時、
”よく解ける物語文”と”まったく歯が立たない物語文”
がありました。真の意味での国語力は、間に合いませんでした😔
本当は
どんな問題でも冷静に物語を分析し、著者でなく出題者の題意を汲み取って解答すること
が、(特に試験で必要な)国語力だと思います。
仕事の世界でも、お客様が存在する仕事では
安心してもらうための共感力(を持ってますよと相手に思わせる力)は必要だけど、
本当に必要なのは自分の意見や主張でなく、
むしろ自分の心を無にしてお客様の要求を完全につかみ取ること
が最重要です。
人間味は必要ですが、傾聴するために必要なのは無でなく無垢な心です。
相手になりきって導きに乗るわけですから、自分を残したままの共感、ではないかなと。
物語文でも論説文でも、まずは何も考えずに素早く読んでみるのが先かなと思います。
速読術ではないです。
そして、何周も読んでいるうちに内容が記憶に残るという点で、
”精読力が身につく”のではなく、結果として精読という状態ができる
ということではないかな?と思います。
精読は、そうしようと思って(深く読もうと思って)そうできるものではなくて、
同じ文章を繰り返し読んだ結果、産物なのではないかと。
最初から深く読もうとしたら体力か気力のどちらかが疲れて、最後まで読めないですし。
昔、松岡正剛さんの編集工学を少しだけかじったのですが、興味深いことをおっしゃっています。
読むというのは、もっと気軽に”読む”でいい
と。
気軽に読むことが深い理解を導くというのは、ちょっとしたパラドックスで面白い。
oximoron風に表現すれば「気軽な精読👍」という感じですね😆
話が既にだいぶ長くなったので、国語力の具体的な話までたどり着けませんでした😔
読書・読解力・精読の話になりましたが、
読書大好きで感想文が嫌い。かなり雑に読むくせに話が頭に入る娘👧
こんな感じです。国語力の話はまたどこかで記事に残そうと思います😓
AERAの記事のせいだ・・・