上の子の早稲アカのときも、いま下の子のSAPIXのときも、定期テストがあります。
早稲アカ低学年では
- チャレンジテスト(冬の学力診断も含む。出題範囲なし。一般参加あり)
- ジャンプテスト(塾生のみ。出題範囲が決まっている)
があり、SAPIX低学年では
- 復習テスト(塾生のみ。出題範囲が決まっている)
- 確認テスト(塾生のみ。出題範囲が決まっている。上下1段階までクラス昇降あり)
- 組み分けテスト(一般参加あり。出題範囲なし。クラス分けはオールリセット)
があります。
ちなみに上の子の早稲アカ時代(4年生以降)は、
- 四谷大塚が作成したYTテスト(毎週)※今は早稲アカ独自のカリキュラムテストに変更
- 四谷大塚が作成した組み分けテスト(月に1回ペース。クラス昇降あり)
がありました。
どのテストも重要なのですが、クラス昇降のかかるテストがついつい重視されがちです。
上の子の時は骨身に染みるほどわかっていなかったのですが、
組み分けテストに囚われるのは危ない
と、後から肌で感じるようになりました。今にして思えば・・・です😔
もちろん組み分け以外も重要視はしていたのです。YTの解き直しもしていました。
でも
組み分けテストで挽回できてしまうと、復習ができてリカバリできた
と思ってしまうのです。終わってから、二周目(下の子)を始める頃から
なぜ正解した時にこそ、
- どうやって解いたかを詳しく尋ねなかったのか?
- 類題を出さなかったのか?
と思えるようになったのです。
間違えたことのある問題、
「週テストでできなかったけど組み分けでは正解した時」
にこそ、それが錯覚でないかを確かめるべきだった
ということを。
今は、
実は復習テストや週テストの方が大事だ
と思うようになりました。
難問が出る組み分けテストを飛び道具で乗り切るような考えではなく、
難問が解けなくても、基礎が固まっていたら絶対にここまで取れる
という点数の取り方に、もっともっとこだわっていたらと。
御三家や難関校を目指せば難問は避けて通れないといえますが、
そもそも週テストの順位が大きく上下するような、
「どこかに穴を残した状態」で難問に取り組むのは危うい
といえます。理屈ではわかっていると思います。でも本当にわかっていないのは、
実は子どもの理解度がどれほど深いものになっているか
ということです。一度でも怪しいと感じたり、苦手意識を持っていそうだ、と思った単元は
たとえ本人が「もう得意分野になったよ」と言ったとしても、類題や応用問題を何度も解かせて、
親の、大人の、それこそ”うまい話を疑う時の目”で確かめないと決して安心できない
ということです。それくらい復習は奥が深かったと、今はつくづく思います。
早稲アカの先生が
ケアレスミスという言葉は存在しても、テストの失点に”ケアレスミス”はありません
とおっしゃっていた言葉が、今は完全にわかります。実力ですよ、と言われたその意味が。
ケアレスミスなら2x3をうっかり8と答えることもあるでしょう。でも普通ありえません。
理解度が完全じゃなかったり、時間が限られると急に、いつも通り解けなくなるとか。
これらはすべて実力不足なのだそうです。
ミスだと思うと反復で訓練したくなります。でも、もしミスでないと思ったら・・・?
できなかった時に反復させて、その時に「理解できた?」と聞くのではなく、
子どもが忘れた頃に、さりげなく理解度が怪しかった問題を出すような・・・
そういうしたたかさも知恵も、一周目の時にはありませんでした。
6年生になると、4~5年の組み分けとは違う問題に取り組むようになります。
これでもかというほど、そもそも範囲がないので、まんべんなく基礎が必要となります。
どういうことが起こるかというと、
怪しい部分の思い出しや解法確認に時間がかかり、時間内に必要な得点を稼げない
という状況です。私の他の記事でも何回か触れていますが、
多くの整理された引き出しを持ち、瞬時にいくつも引き出して答えを導ける
という力がそのまま、順位に表れていくということです。
算数だけでなく、4教科すべてがこれに当てはまります。
中学受験国語には、それにふさわしい解法(まるで算数の公式のよう)があり、
理社も”立体的な知識(特定の事象だけでなく、因果と未来予測)”が求められます。
二月の勝者、第18巻・第153講で佐倉先生と桂先生が会話しています。
思った以上に「偏差値通り」なんですね、合否・・・(佐倉)
そうなのよ、それが現実(桂)
この会話は奥が深いのですが、まさにそのまま、そうなのです。
すべての教科には、その科目なりの「答える型」があります。
言い換えればそれは「表現の仕方」です。パターン問題のことではありません。
問いには必ず「何を答えてほしいか?」が書かれています。
「それぞれの問いに対する答え方の作法≒パターン」があるのであって、
「答えのパターン」ではありません。
「知識や解法、答える型」は、覚えることがゴールではなく、
それらを操ってアウトプットを出せるようになるのがゴール
です。
自在に操れるところまで身につけないと怪しい
(だからこそ、確認はこれでもか!というほど”忘れた頃にいやらしく”すべきだった)
ということなのです。偏差値が(安定的に)高いということは、それだけ
オールレンジで得点力が身についている
といえます。穴があるほど成績は安定せず偏差値も上がらず、結果的に
持ち偏差値前後の学校に進学していく
が、「そうなのよ、それが現実(桂先生)」につながるのです。
でも実力相応の学校に合格できれば、中学受験はうまくいったと思っていいと私は思います。
進学してから改めて、穴のない学習をしていけばいいのだと思います。
実力よりはるか下の学校、あるいははるか上の学校に行ったら、どちらも大変でしょう。
だいぶ長く書きましたが、組み分け以上に復習テストや週テストが大切だと思う理由です。
範囲の決まったテストで、学習内容をきちんとアウトプットできる。これが重要です。
教わったことを自在に引き出せていない部分を見つけるために、テストがあると思います。
入試本番以外のテストは、学力を身につけるためにやるべきことを教えてくれるテスト
だと思います。α上位やSS上位に居ることは、難関校の合格を保証するものではありません。
学力があれば結果的に上位クラスに入るものなので、目指すものではないという意味です。
「そこを目指して勉強する」という意味でもないです。
子どもはそれを目指しても、親が目指すのは穴のない学習の定着だと思います。
一周目を終えて長い振り返りの時間を取り、やっと気づいた気がします。
なので、たとえ各種テストで高順位を収めても、全然安心することはありません。
そもそも低学年であるというのもありますが、親として喜ぶというか安心できるのは、
穴のない学力がその学年の時に完成していくのを、確かめられた時だと思います。
穴の開いた子が先取り的に上位に居ても、地道に追い上げた子に抜かれる構図かもしれません。
そういう意味では、子どもに一番知ってほしいのは「穴の開いた学力」の怖さです。
上の子の時にもだいぶ苦戦はしましたが、その時の同じ学年の子の苦戦も見ました。
その子は週テストはびっくりするほど悪い点数も取るのに、
組み分けではしっかり帳尻を合わせてくるタイプでした。
そのスタイルでずっとSS1を維持してきたのですが、6年生の夏から急降下しました。
最後は最上位クラスを維持できず、志望校も最難関から1段階下げ、秋にまた1段階、
最終的にもう1段階下げることになりました。
最後の方は最上位クラスの子と話しづらくなったり、受験期に近づくにつれて集中力が切れ、
周りの子にも迷惑をかけるようなことがあったようです。
よく最後まで走り切ったな、持ちこたえたなと思います。
素直な明るいタイプの子でしたが、お母さんは周りの子のことを気にかけないようなタイプでした。
二周目の今は身をもって、
なぜ復習テストがあるのか?
それはどれほど重要なのか?
を考えられるようになりました。クラス昇降のない狭い範囲のテストだからこそ、
学力の定着を丁寧に見極められる分量ですし、時間にも余裕があると思います。
蛇足ですが、ひたすら詰め込んで(量で)穴を埋め尽くせるケースもあると思います。
先取りや大量の学習で穴のない学力を仕上げられる子も居ると思います。
娘の場合、そのやり方ではいずれ親子の決定的な溝を作ってしまったり、
学力以外の人間性の部分で副作用(ストレスによる人格形成のダメージ)が生じると感じます。
なので、復習テストで穴を確認しながら、結果として好成績を収められるようにしたいです。