一人目(2021年)の経験と現在進行中の取り組みを中心に記事を書いています

少しでも、誰かに役立つ内容や共感できる話になれば嬉しいです(一人目の時は初めてで大変でした)

すべての中学受験(親子)を応援します!

お墓参り、お盆

私の地元は新盆なので7月にお盆が来ます。明治の改暦(太陰太陽暦→太陽暦)に伴い

お盆が1か月ずれたせいですが、旧暦でお盆を実施している地域は8月がお盆ですね。

立春やら立夏といった季節を表す言葉(二十四節気)もずれたのですが、

私が子どもの頃に立春とか言われると

今日から春?こんなに寒いのに?雪も降ったりするのに?

と納得いかないものでした。

日本人(江戸っ子?)、どんだけせっかちなのよ

と勝手に思ったものでしたが、旧暦・新暦のずれだけでなく二十四節気の起源が中国にあることも

理由だそうです。農業にも重要だったりなど、奥が深い・・・。

二十四節気や五節句、太陰暦、うるう年、うるう秒などは受験でもおなじみなので、

夏至や冬至などの節目に理科的知識(星座も)に触れつつ、少しずつ娘と話しています。

www.eflora.co.jp

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私の実家は既に私一人なので、お墓は私が管理しています。お墓を持つ、管理するとなると

地域やお寺によって全然異なりますが、お金も時間もかかって大変な時もあります。

私は

自分が死んだら燃やした後は砕いて捨てていい(=手間かけないでね)

と言っています。死んだ後にまで負担をかけるのは嫌ですし、忘れてほしいと思っているので、

お墓も私の代で墓じまい・離檀する予定です(親戚も減った頃に穏便に)。

私が元気なうちは仏壇も含めて先祖供養はそれなりにするつもりですが、ボケる前にすべて、

きれいさっぱり後始末します。

そんなわけで、猛暑の時期でもあるし、子どもをお墓参りに連れて行くことはありませんでした。

ただ私がお墓参りから帰ると、お供えに使った地元の和菓子屋のおはぎや銘菓が食べられるので、

一緒にお墓参りに行きたい!

と言われます。上の子は大きくなったので最近言わなくなりましたが(お菓子は食べるけど)、

下の子はこの季節になると行きたいと言います(他のお菓子も気になるスイーツ女子?)。

 

今年は初めて、子どもを連れて行こうかと迷っています。

 

お墓のお世話は面倒なので子どもたちには関わらせたくない(住職にも会わせない)です。

私には個人の精神的な自由に基づく供養や墓参でない限り、

世間体を気にしている、祟られたくない、風習だからといった精神的なしがらみ

と思わされる部分もあり、

死んだ人間に対して親不孝だの、孫の元気な姿をとか、あるわけないだろう

石に子ども見せて満足も成仏もないだろう(生きてる人間の都合?)

そこまで言うなら毎日仏壇に線香を上げ、故人を偲べばいい(やってます)

自分がやらされてきたことを夫や嫁、子どもに押し付けて鬱憤晴らしたりしてないか?

神道・キリスト教・仏教をイベントで使い分けるくらい柔軟なのに、なぜ供養だけは気にする?

と思ってきました。

しかし最近、子どもが大きくなるにつれて

そもそも田舎もなく風習との親しみがないのに、関心を持つのは素晴らしいことなのでは?

逆にその機会を奪うことになって、自由を縛っていることになるのでは?

お盆やお彼岸といった話題は受験にも出るし、本人が行きたいならいいのではないか?

と考えるようになりました。

私は自分が死んだら、できれば忘れてほしいと思っています。

それが死んだ側も生きている側も気楽だと思ってきたからです。

しかし子育てやコロナ禍を通じて、人々が

寂しさや悲しさを知る権利を無意識に欲していること

寂しさや悲しさを忌み嫌うのに「それを忘れたくない」と思う矛盾した心があること

に明確に気づきました。私にはない感覚でしたが人々がそれを大切にする姿に"人間"を学ぶ思いです。

人間は理屈でなく矛盾から逃れられず、それが普通であり知性で感情は超越できないと。

知性を持ちつつ矛盾を抱え、ありのままを受け容れていくことが、知的である以上に美しいのだと。

なので、

死んだら忘れてほしいというのも無理があるし、一種のエゴかも

と思う迷いが私の中に芽生えました。むしろ好きに任せる方が自然で清々しいのかもしれない。

年を取ってボケたり病気とかで迷惑かけたくないし長生きしたくない

と思っていましたが、それもある意味”楽な道”への逃げなのか?と、考えが変わりつつあります。

悲しみを味わっても、迷惑が掛かっても、「それでも切り離せない」という感情

が人間にあるなら、それを尊重したり、自分と違っても一つの価値観として大切にしてあげたいと。

元気なうちに健康に気をつけて年を取り、自分が長生きして”見送る側”になれば、

寂しさや悲しみを与える側にはならなくて済むかもしれない

健康に年を取るというのは楽な道じゃないけど、これこそ頑張り甲斐もあるのかも

そんな考え方もいいのではないかと思い始めています。

いろいろ考えましたが、今年は人生勉強・受験勉強という意味で、

娘をお墓参りに連れて行こうかと思っています。

無知の知。まだまだ知らないことばかりで、私も学びたいです。