本棚に
やる気に頼らず「すぐやる人」になる37のコツ
という本を置きました。面白そうな本だなぁ、と白々しい小芝居を打って。
大人向けの本です。でも半分マンガだしマスコット的なキャラクターも出てくるので、
冷やかしで興味を引けばと思いました。娘が時々手に取って読んでいますが効果はありません。
もともと効果を期待していたわけではなく、
”すぐやる”っていう概念の存在が意識のどこかに入っていれば
くらいの感覚です。
「子どもだから」ではなく大人でもそうですが、やりたいことを優先してしまって
やるべきことを後回しにすることは、ままあります。
娘もしょっちゅう
「やるべきことをやらないでやりたことを優先するなー」
と私に注意されます。
そうやって注意しているので、私は毎日必死に心の中の弱い自分と対峙して、見本になろうと
意識しています。私がすぐやる人間に多少近づけたのは娘のおかげです!
それにしても悩ましい。何とか理性の力でやるべきことを先にやりたい。
そもそもやるべきことを優先できないのは、
やらなくて済むならやりたくない~
とりあえず現実逃避だけでもさせてくれ~(先送りする方が大変でも~)
という心に忠実になってしまうからです。大谷翔平さんやイチローさんは人間じゃないね。
しかしどうしてなんだろう?と思って、ひとつの仮説にたどり着きました(またかよ)。
このジレンマに陥るシチュエーションには条件がある気がします。
それは
やりたいこととやるべきこと(できればやりたくないこと)を選ぶとき
に限るのではないか、ということです。当たり前だと思ったら、ここでおさらばして下さい。
(ありがとうございました。もう少し勉強して成長してきます)
選択肢が2つあるとき、それが「やりたいこと1」と「やりたいこと2」であるときは、
迷っていても悩んでいても、意外と心は楽しく感じている気がします。
どちらにしても「やりたいこと」を選ぶので大体満足できます。むしろ
どっちもやりたくて決めきれなくて一兎をも得なかった~!
という時に後悔するでしょう。なので決断力は必要でも、それ以外の邪魔はなさそうです。
また「やりたくないこと1」と「やりたくないこと2」であるときは、何もしたくないと思いつつも、
いずれにしてもやるしかない
という気持ちになって選択肢のうち必ず軽い方を選び、あわよくば
ほんの小さな”やりたくないこと”をやりきった達成感が自己肯定感を高め
やるべきことをすべて達成させてくれることさえある気がします。
たとえ一つ目のタスクで疲れたとしても、一つもやらないよりはずっと前進です。
1個と2個の比較は小さくても、有る(1個達成)と無い(ゼロ)の違いは大きいです。
したがって、割りと厄介なのは
「やりたいこと」と「やるべきこと(やりたくないこと)」
の二択になっている時なのではないか?と思いました。
やりたいこと同士の時は決断力や勢い、やりたくないこと同士の時は軽い方への逃避、
そういった要素で心の葛藤に悩まされているような気はしません。理性的です。
しかし厄介な二択の時は、決断力でも焦燥感による逃避でもなく
欲望に勝てるか否か
という心の問題になります。頭と心の戦いになると、心が勝っちゃいますよね!(え?違う?)
決断力も行使したかわからないくらい一瞬で
やりたいことやりまーす
と全会一致、満場一致、実質一択。心に出番があること、心を抑えることが困難なことが、
一番悩ましいんだなと思いました。
待てよ。
だとすれば「やりたいこと」と「やるべきこと」を選ばせるのではなく、
「やりたいこと」「やるべきこと(難敵)」「やるべきこと(楽勝)」の三択ならどうだろう?
と思いました。つまり、どうしてもやりたくない(腰が重い)ことを避けるために、
やりたいことではないけど「これならやれそう」という選択肢を用意する。
こうすれば「心(欲)」と「頭(理性)」の一騎打ちにならず、頭の戦いに持ち込めるのでは?
自分のシチュエーションで選択肢を増やすのには訓練が必要そうですが、
ちょっと娘にも試してみようと思います。
ゲームじゃなくて読書感想文だよね!どうしても嫌ならせめて漢字練習1ページやって!
うん、何かいけそうな気がする。バリエーションも考えておこうっと。