一人目(2021年)の経験と現在進行中の取り組みを中心に記事を書いています

少しでも、誰かに役立つ内容や共感できる話になれば嬉しいです(一人目の時は初めてで大変でした)

すべての中学受験(親子)を応援します!

全国統一小学生テスト 2年生6月

自己採点の結果、算国ともに満点には届かなかったようでした。

満点が取れるのは年長から1年生の間だけなのか、それとも学習内容の進みに対して

学力がついていけてないのか、少し気になるところではあります。

満点は簡単に取れないのが当たり前なので気になりませんが、時間をかけても解けないのか、

特に算数に関しては、どうしても解きたい!という情熱が感じられず気になっています。

大問7は条件整理と場合の数のコンボでした。大人が見れば

「これは場合の数に条件をつけただけなので、総当たりのうち条件を絞ればいいな」

と作戦を立てて臨めますが、子どもにとっては条件の絞り込みが難しいと思いました。

(2)までは理解して解けたようでしたが、(3)は難しく見えたようです。

しかし条件をよく見ると、繰り下がりのない2桁同士の引き算なので、十の位と一の位を

それぞれ別の式に分けても成立するものでした。ここに偶然気づいた子どもはきっと

楽しく解けてしまっただろうと想像します。

 

久々に父母会も参加してきました。話の内容が以前と少し変わってきた印象でした。

ひとことで言えば、

大人への説教かぁ(笑)

世界の統計情報を用いて、大人の学習時間を調査した結果、日本の大人が最も学んでいない、

という内容でした。本来は一生が学びの連続です。

毎日のちょっとしたことも、気づき、仮説、検証の繰り返しで学びがあります。

特に、学びの楽しさは「知識の吸収」でなく「自分で考えること」にあると思います。

中学受験で難関校を目指す場合は特に、学ぶ力を身に着けるためには「考えること自体への興味」

が重要だと私は思います。成長期は脳も成長するので、無駄に考えて脳に刺激を与え続けることが

何より大切だと思います。

運動することで関節や筋肉が刺激を受け、活発に細胞分裂を繰り返して成長するように、

脳も酷使されることで飛躍的に成長すると思います。

たとえ年を取ったとしても、効果は少ないながら、筋トレで筋力が増やせるように

脳も成長すると思います。最新の科学ではそういう説も出てきたようです。

 

考えること自体に意味がある。「何を」はそんなにこだわらなくてもいい。

 

これとよく似た話を最近見かけたので紹介します。

中学受験も、学年が進んだら引き出し・武器としてのパターン習得は必須です。

しかし6年生で最後まで諦めない力、心の体力(脳の体力?)を身に着けるには、

「考えることが楽しいという人間になっていること」が決め手な気がします。

取り組んでる間、悩んでいる間は楽しいとは思えないかもしれません。

でもある時、考えること自体が楽しいと思える時が来ると思います。

マンガ「アオアシ」の第302話(30巻収録)に出てくる司馬選手の話も、なかなか良いです。

 

近年、自走力や自発性を持てばすべてがうまくいく、といった主張も流行っています。

私もそう思います。しかし時々おかしくなるのは

自発性を持たせましょう

という論調を見かけた時です。塾の説明でも、親が自発性を引き出すために何をすべきか、

みたいなことを聞くことがあります。

 

それはないでしょう。

 

生まれた時からしばらくは、たいていの子どもは自発的に興味を持ったこと、

やりたいことを勝手にやると思います。これこそが自発的行動だと思います。

しかし大人がやり方を教えて、指示を聞くようにしつけていくうちに、

自発性は失われていくのだと思います。さらに経験のない子どもに対して、既に経験をした大人が

このやり方がいいよ

と「効率」を教えてしまいます。コスパに通ずる考え方です。その瞬間、無駄から生まれる

「創意工夫」の心は現れることすら許されず、無意識のうちに心の深淵に沈んでいきます。

やがてお手本やマニュアルを見つけ出し、それを囲い込むことで他者との差別化を図るうちに、

オリジナリティのないマニュアル人間が育つのかもしれません。

たまに聞く「子どもの頃は野山を駆け回ってました」みたいな優秀な人間を見ると、

どこか別世界の話を聞かされているように感じることもあると思います。

ですが、それはきっと真実の一面を表しているかもしれません。

事故などのリスクは心配であるものの、自由を与えれば子どもはどこまでも心の向くままに、

何かに執着すれば、あの手この手で成し遂げようとして、自らの脳を嬉々として育てます。

そうして自ら育てた脳は、考えることが呼吸と同じように恒常的なものになりそうです。

 

今回の父母会では、

みなさん、子どもに失敗をさせましょう

と言ってました。以前なら同意したのですが、今の私は完全には同意できませんでした。

そもそも失敗ということの定義そのものが違うのではないか?と思い始めたからです。

私は以前、チャレンジが楽しい、と思っていました。でも振り返ってみると、

本当に楽しいのは「試行錯誤(Try and error)」だったと気づきました。

そうして初めて

ああ、試行錯誤だから”必要な失敗”があるんだ

よく考えれば、ミスや失敗のない(試行錯誤のない)成功なんてなかった

そうか、成功とは結果としての点でなくプロセスの終点か

だからその過程の失敗は、成功するための条件だったんだ

と思うようになりました。バックキャスティング思考ができるようになると、

良い完成品を仕上げるために意味のある試作機が、マイルストーンとして必要になります。

私は父母会の話を聞きながら、創意工夫と試行錯誤の類似性を初めて強く意識しました。

 

全統の自己啓発セミナーみたいな「意識高い系の親御様~」的な話は響きませんでしたが、

子どもに対して試行錯誤と創意工夫の目で、思考の遠回りをさせてあげようと思いました。

上の子の時は中学受験が初めてで言語化までたどり着けませんでしたが、

今回は低学年のうちに、今こそ必要な時期に明確化できてよかったなと思います。

全統の父母会講話、どうもありがとう!