本番から時間が経ったので、全国統一小学生テスト(算数)の解き直しをしました。
数問間違えていたうち、一番最後の大問7の(3)以外はすぐに解けました。
本番では焦ったかミスしたか、の類かと思います(とはいえ偏差値80台とかだと複雑)。
大問7の最後も解けそうでしたが、解き筋が論理的でなく時間がかかりそうだったので、
考え方を説明してしまいました。
しかし、これがよくなかった・・・。
自分で解いている時は遠回りであっても、論理的でない説明を私に向けて話している時でも
一所懸命で活発だったのに、私の説明が始まったら機嫌が悪くなりました。
まだ自分でやりたいという気持ちがあるのに止めた、親である私の明らかな失敗です。
教えたい、さらに深いことを教えたい、という誘惑に負けていました。弁解の余地ゼロです。
子どもは自ら難問に立ち向かおうとしていたのに・・・。
普段気をつけていたことが今回はできなかった。
まだ自然にそれができるほど、私は訓練できていなかった。未熟だった。
良問との貴重な出会いを奪ってしまった。
反省しかありません。これから逐次思い出すようにして、そうならないよう気をつけます。
今回教えようとしていたことは、本来あと2~3年は待つべきだったと思いました。
難問に遭遇した時、「解き筋を考える」という考え方を見せようとしていました。
なぜなら難問や思考系の問題は、必ず条件整理と推理・仮定から入るからです。
全統の大問7(3)は、私の見方では「条件整理+組み合わせ(場合の数)」でした。
与件から、
・二けたの引き算だが繰り下がりは発生しない
・二けた同士の引き算で答えも二けた(十の位に必ず数が入る)
・答えは4通りである
ということが分かっています。なので、一の位の計算が十の位の計算に何も作用しないので、
一の位を無視して十の位の計算ができます。使える数字は0, 1, 1, 8, 8, 9, 9の7つですから、
・十の位にゼロは入らない
・繰り下がりは発生しない
の条件で90-80=10か90-10=80の2通りしかありえないことになります。
あとは一の位をどう考えるか?ですが、
・繰り下がりは発生しない
ということで一の位の引き算は「大きい数 - 小さい数」になります。
これが成立する組み合わせは、9-8=1, 9-1=8, 9-0=9, 8-1=7, 8-0=8, 1-0=1の5つです。
しかし既に十の位の計算で1, 8, 9をひとつずつ使っていること、使える数に7がないことから、
・残っている数は0, 1, 8, 9なので、同じ数字を2つ必要とする式は作れない
・0, 1, 8, 9以外の数字が入る式は作れない
となるため9-8=1と9-1=8しか残りません。つまり十の位とそっくりで、一の位も2通りです。
したがってここからは場合の数で2 x 2 =4(通り)で良いのですが、
2年生なのですべての組み合わせを書く(勘で”4だ!”はダメ)ということで、
まず引かれる数は90+9で99に固定すると・・・
99-8x=1xに一の位の2通りを足して、99-88=11と99-81=18の2通り。
そして99-1x=8xも同様に99-18=81と99-11=88の2通り。あわせて4通りとなります。
全統の解説を読んでいないので、違う解き方だったらすみません。遠回りかな・・・。
と、条件整理をして当てはめてそぎ落として絞り込んで・・・という、
効率よく間違いの起こりにくいプロセスが当たり前のように正答を導く
を示して、頭の使い方を教えたいと思ったことが今回の間違いです。
2年生で解けて、しかも考え方を説明しやすい問題だったので、やらかしてしまいました。
まだまだ黙って試行錯誤をさせるべき時期に、意欲を奪った罪の重さを受け止めます。
本当に「こうやって”勉強はつまらない”、”教わるのは苦痛”と思わせるリスク」を
常に避けながら進まなければいけないと恐怖しました。
仮に、先ほどの解き筋をさりげなく机においておいたとしても、程度の差こそあれ
面白くない感情を惹き起こしてしまっただろうと思います。
試行錯誤して試行錯誤して躓きながら解いて・・・を繰り返し
もっと良いやり方があるんじゃないか?
を考えるようになった時こそが、教える時(親の出番)だと思います。
そもそも自分で考えたことを整理して意見を言ってこられるようになるまでは、
(見えないけど)きっと脳の中は混沌としているのだと思います。
そんな混沌、混乱の生じている脳に対して「効率とはこうだ、正解はこうだ」と
論理をインストールしようとしても、いつも以上に拒否反応も出るかなと思いました。
私の読んでいるアオアシに出てくる「司馬さん」も、主人公のアシトを導く際に
自分の考えを言ってこられる奴には、この伝え方ができる
「おまえの考えはわかった。でも、こっちの方がいいぞ」
とつぶやきます。大事なのは教え方の部分でなく、その前の条件
「生意気にも自分の考えを言ってくる」
というところなんですね(29巻295話より)。
そもそも自分で試行錯誤して苦しんだり、自分なりにたどり着いた答えがあって
”努力の裏づけに基づく意見(正否問わず)を持っている”
ということが重要です。最初から正解を教えてもらい(手ほどきを受け続けてきたり)、
何かの成功や失敗に対して振り返らず、感性・感覚だけでやってきたり、という相手には、
残念ながら”教え”が届きません。
苦しんで逃げず、試行錯誤して自分の中で何かを創る
というプロセスを経たかどうかで、のびしろが決まります。
そのために、超えられそうだけど少し難しいハードルを与える、試行錯誤のヒントは出す、
自分でクリアしていく楽しさを教える、を繰り返していく・・・はずでした。
今回は自分で立てた戦略を自ら踏み外してしまいました。
なぜそうなったかをもう一度振り返り、次はやらかさないようにしようと思います。
しかし親である指導する側も完璧ではないです。これを試行錯誤として、成長したいと思います。
アオアシの福田監督も指導者だって未熟だと言ってましたから!(11巻106話より)