低学年通塾は必須といえないけれど、学習は必須だと思う
中学受験をしなくても、塾やそれに近い勉強は必要ではないか?
といった疑問で、前回の記事が終わりました。
間隔が空いてしまってすみません😅
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脳の発達に応じて段階を踏むという前提で、低学年からの学習が重要と思うのは、
社会の現実として、幼い頃から教育でじわじわ差がついている
と感じるからです。
いくつかネットの記事を紹介します。
※もちろん「観たいものを観る」の確証バイアスで、私の引用が偏っているかもしれません。
様々な情報を調べてご判断下さい。
フランスも学歴社会ですし、アメリカも棲み分けされています。
イスラエルやシンガポールも、低学年から教育には熱心ですね。
海外現地の人々とは日常的に(対面・ネットで)接しますが、
教育に関しては、日本の中学受験層のような考え方が一般的
と感じます。つまり
成功したければ学習するのは当たり前
能力に個人差があるのは当たり前
成果を出した人間が高い報酬や好待遇を得るのは当たり前
という価値観が、いってみれば世界共通です。善し悪しでなく現実として。
したがって世界の中の日本、鎖国をしていない日本も世界標準に巻き込まれます。
通塾の低年齢化や中学受験の過熱化と言われていますが、本質は
グローバリゼーションの中での就業機会と報酬の獲得競争
ではないかと思います。
だからといって、
低学年から難しい受験教育が必要だ、英語教育が必要だ
と言っているのではありません。
将来を見据えた教育は、低学年からもう始まっている
という意味です。その具体的な考えの一つが、脳への知的刺激だと私は思っています。
発達段階に応じた教育を継続的に、長期目標に従って施していくということです。
たとえば早期英語教育に関していえば、言語を操る脳や心が完成する前に覚えても、
言語が使われる場面(自己表現・他者理解)に役立てられるかはわかりません。
英語のテストは高得点だけど会議で意見は言えない
話せるし聞けるけど、キャッチボールが成立しない(ロジックがプア)
というケースは、言語の問題ではないと思います。
子どもは知らないことだらけなので、動画でもゲームでも何でも知的な刺激にはなります。
ただ、将来を見据えるなら学習はしておくべきだと思います(世の中がそうだから)。
日本の中学受験は海外の教育事情にも通ずるところがあります。
もちろん海外でも、高等教育に進まないという道は立派に成り立っています。
しかし報酬という意味では、資本主義でなくてもたいてい競争で差がつきます。
そのような背景で、私は中学受験の学習内容は知的刺激で、将来にも通じると感じています。
学齢に応じた負荷を超えない限りは、通塾によって学校とは違う競争も見られるし、
難易度の高い学習内容の存在に気づくこともできます。
基本的には「蛙の子は蛙」だと思っているので高望みはしませんが、
心の幸福感があるという前提で、社会でたくましく生きられるようになってほしいと思います🤗