娘の自走エンジンがかかったというか、自発性ギアが上がったというか、
ここ1カ月ほどの客観的・合理的思考には大人のそれを感じさせる印象があります。
一方で
人としての余白はどうなるだろう?🤔
とも思っています。
余白というのは
どのように使ってもいい余剰空間
でもいいですし、
核心を引き立てるための機能的空間
でもいいです。
仕事で非常に多くの方々と接しますが、時々
ああ、この方は余白の意識がとても美しい(自律的バランスが素晴らしい)な
と思わされることがあります。芸術作品に接しているかのような錯覚で🤣
たとえば他人と議論をする際にも、持論だけを主張するようなことはせず
相手と自分との混ざり合いで何が生み出せるだろう?
というスタンスを持っていたりします。
コアとなる部分の意見だけをぶつけ合うだけなら、
答えは相手側か自分側かの1軸上を綱引きしているようなものになります。
ところが余白をうまく使いこなしている方は
相手と自分の間にスペースを作り、そこで自由なベクトルをいくつも作り出す
といった遊びをしているように見えます。
一本道だった相手と自分とのつながりの間に少し広めの円形の広場を作り、
その広場では360度どこを向いてもよいことにして、意見の融合に時間を使います。
衝突しないための緩衝地帯ではなく、衝突を制御可能なレベルに落とし込むための知恵だと
私は接していて感じます。
生産的な二項対立とでも呼べばよいのでしょうか・・・🧐
議論に限らず、余白を意識している方は余白になるような趣味を持っているように感じます。
意外な趣味とまでは言いませんが、本人の性格や生業とコントラストをなすように、
ちょっとしたポケットを持っている感じです。
私はうまくできないので、仕事をしても趣味をしても
ああ、君らしいね
と言われてしまいます。
仕事方面の知り合いと趣味方面の知り合いが偶然出会ったとしても、
恐らく初対面のその人たちの会話では同一の私が語られると思います。
ところが余白を意図的に使いこなしている方は、別の時空では少し違う自分を持っているようです。
多重人格とかではないですし、他人を欺こうとしているわけではないのです。
あくまでも本人の派生形や別解釈のような形で存在しているように見えます。
人格というか自分というものにも余白を残しているようなのです。
次回、この世界で余白がすごく大事だと思った話につづきます👋