中学受験は一般的に、とてもお金がかかります。
でも子どもにお金のことで責めることはしません。
自分の手の届かないことを責められるのは大人でも辛い。
子どもの心のキャパ、甘えたい親から責められる辛さ。
逃げ場のない苦しさになるのは確実です。
私は、中学受験にかけてるお金は
自分がそこに価値ややり甲斐があるから
と思っています。
子育てそのものが自分のためである
という認識をしています。
なので
子どもに「いくらかかってると思ってる?」と言うこと
はありません。
子どもがそれを聞いてどうこうすることもできませんし。
それに、理想論としては
自分のためだと思って勉強してほしい
と思っているので、親のためとはあまり思ってほしくないかなぁ。
妻にも私の考え方や理由は説明しています。
何でこんな話を書いたかというと、こんな記事を見かけたからです😅
それに、もし叶うならば
お金をかけてくれてありがとう
と思われるのではなく
愛情を注いでくれてありがとう
と思われるような親になりたい。
残念ながら、人は自分がどれだけ愛されたかは
自分からは見ることも測ることもできない
という矛盾があります。
子どもに愛情を届けることができたかどうかは、
人生のずっと後になってからしかわからないと思っています。
欠点だらけなのは確かですが、それでも
子どもに背中を感じさせられるような親になれたらな
と思います。
でもそういう意味では
いくらかけてると思ってるんだよ
と言ってしまう親もアリなんじゃないか?🤔と思います。
必死な姿、人間味ある姿を見せるというのは、
子育てにおいては大正解かもしれないからです。
記事を読んだ時は
それってどうかなぁ?
とも少し思いましたが、そこに愛情があって子どもに伝わってるなら、
それすらも子育てに役立つことのような気もしました。
親の一方的な想いや努力で子育ての正解が作れるのではなく、
受け取り手である子どもと親子の関係性次第で、
正解にも不正解にもなるんだな
と思いました。
子育てに一律の正解がない理由、かもしれないですね😅👋