前回からの続きです。
スポーツ観戦でも熱狂的なファンが暴走したり、
推しが行き過ぎて犯罪に走ってしまったり。
これらは人々の心にある
何かに熱狂したい
究極的には「愛は盲目」である
という本能的性質によるものと思います。
戦争の場合はそこに
正義・愛国心・愛する者を守るため・存在意義のため
といった
批判はおろか、疑うことさえ許さない
という強制的な劇薬が投与されます。
そこに疑問を投げかける者、あるいは
ちょっと待って
と声をかける者でさえ
自分たちを攻撃、否定する敵
獅子身中の虫、非国民、帰属せぬ者
というレッテルが貼られたりします。
なぜなら
制御不能な熱狂の中では、より過激な者が称賛される
という情動的判断がすべてを支配するからです。
人々は熱狂に支配されているのですが、
熱狂は形を持たないために偶像が求められます。
それがカリスマでありシンボルとなります。
たとえばカルト教団などで絶対的な教祖が崇められている時、
外部の人間からは異常な世界に見られたりすると思います。
これは国であっても変わりません。
アイドルの追っかけでも、熱狂的なファンでも構図は似ています。
なので人間から熱狂を奪おうとすることは非現実的ですし、
恐らく不可能に等しいと思います。
中学受験の熱狂もそのひとつに含まれるのかもしれません。
次回は
熱狂を止めることはできないのか?
どうにもならないものなのか?
という視点で続きます👋