大人でも子どもでもあると思いますし、
もしかしたら大人は特にそうかも
と思うことに
間違いがわかった時、認めるのに時間がかかる
があります。
本当は大人とか子どもという括りではないと思います。
ここでは便宜上そう述べていますが😅
人はよく間違える生き物だと思いますが、
間違っていることを認めたくない
間違っていることを指摘されたくない
間違えることは誰でもあるのに、間違っていない状態でいたい
という気持ちに縛られてしまうことがあります。
これが常態的になると、とても危険です。
私は男性ですので、もしそれが加齢とともに加速すると
ああ、私も暴走老人とか呼ばれるのか
と思います。
それはイヤなので常に他人の話は聞けるようになっていたいと
思っていますが・・・
もしかしたら本当は、
加齢とかでなく孤立(誰も認めてくれない)
という承認欲求の著しいストレス状態がそうさせるものかもしれません。
なので、いくら気をつけていてもそうならない可能性はないです。
特に男社会である以上、男性は社会から引退した状態になると
それまで認められていた自分をすべてを失った気持ち
になる可能性があると思うので、
若いうちから孤独に慣れておくのも良いのかもしれません😅
少し話が逸れてしまいましたが、
普段からガンガン間違えて、直して成功につなげる
といったトレーニング(間違いへの免疫強化)をしたい
とも思っています。
自分はよく間違える人間だ
と思えれば、指摘や状況にも慣れるかなと😅
間違いを笑って吹き飛ばして正解に辿り着けるような
ある程度強いメンタルは社会に出てからこそ重要
だと思います。
子どもたちには挫けない心を持って欲しいなと。
間違えることを恐れたり
間違っている状態を極度に避けたり
間違いを指摘されることに激昂したり
そういうのは
間違えてはいけない
と教わって育つと芽生えるのでしょうか?🤔
プライドの高さとかとも少し違う気はするんですよね。
中学受験の勉強においても、娘は少し
間違いを認めたくない
という気持ちが働いているように見えることがあります。
それがプライドみたいなものなのか
それとも否定された気持ちになるからなのか
は、わかりません😓
あるいはそんな複雑なことではなくて
勉強したはずなのに間違えたのが超悔しい!
という単なる気の強さかもしれませんが😅
しっかり学習しましょう
と
間違えたっていいんだよ
のバランスが難しい😓
間違えた問題よりも正解できた問題を喜んだり、
前よりも解答や学習の質が向上したことに本人の目が向くといいですね。
少しでも確実に前進している
という実感が、間違えた時の対応力向上につながるのだと思っています。
さて、いよいよ組み分けテストです。
どんな結果でも構わないので、うまく書けたところとか、
ひとつでも多く「頑張ったところ」を見つけたいと思います🤗
入塾してしまえばSAPIXにクビはないのですから🤣
私が楽観的な性格のせいもありますが、
テストなんて、頑張り切ったならそれでいいじゃない
と思ってしまいます。
裏を返せば
テストの時に頑張るんじゃなくて
頑張るのは日々の鍛錬なんだよね
ということでもありますが😅
普段を頑張る、不断の努力を苦にしない
そんな風であってほしいとも思います。
「日常」の基準や水準を上げてほしいというか。
このブログでも前に書きましたが、習慣化こそ最強じゃないかなぁ?🤔
少しずつ「自分」の水準を高めていけばいいんじゃないのかなと。
私個人としては、子どもの頃から
テスト対策とかテスト勉強
をしたことがありません。範囲とかも気にしない性格でした。
自慢とかでなく(別に凄い結果とか残してないし🤣)、
テストの時だけいつもより頑張る
というのがなかったです。
普段もやり切れる範囲での頑張りでしたけど🤣
性格ですから仕方ないです。
試験期間中でも隠れて部活の練習するような人間でした。
学力はすぐ落ちなくても筋力や体力はすぐ落ちると思って🤣
・・・私のことはどうでもよいのに逸れました😓
娘はここのところ自発的に復習を頑張っていたので、
結果に関係なく頑張りを褒めてあげたいと思います😉👋