今回は大して役立つ話というわけでもないですが・・・
中高一貫校に進学して、子どもたちが経験できたらいいなと思うことのひとつ
です。
無駄な努力はしたくない
という考え方は、どこまで合理的でしょうか?🤔
徒労に終わることならば、早めに見切りをつけた方が良い。
それは「損をしたくない心」に似ていると思います。
人はそれほどまでに
損をしたくない
と思う生き物であるようです。
私のイメージでは「コスパ」「タイパ」も似ている気がします。
アスリートになれなければスポーツに真剣に打ち込んでも仕方ないか
東大に入れなければ、難関進学校に入れなければ受験した意味がないか
アーティストとして大成しなければ、音楽や絵画に没頭するのは単なる時間の浪費か
そんな風に問いかけると、半分かそれ以上の人は
決して無駄とはいえないと思う
と答えてくれる気がします😅
個人的には
若いうちほど遠回りや無駄も必要で、それが人間形成に役立つ
無駄を省いて機械のように最適化して効率の良さだけを目指した生き方をしていたら、
自分らしさや個性みたいなものは見出しにくい
と考えます。
中学受験が無駄な努力かどうかという話ではなくて、
中高一貫校に進むことで、無駄な遠回りをしてもいいじゃないか
という心のゆとりが生まれることを期待している、という話です。
私自身を振り返ってみても、無駄な努力や遠回りが今の自分を作っているように思います。
いつでも現状の自分に満足できなくて、「これが自分だ」と思える自分になりたくて、
格好悪く恥ずかしいと思いながら生きる毎日が、こんな自分を作ったんだなぁ
と、年を取ってから感じます😓遠回りしたけど、自分の人生だという実感があるというか🤣
どこに向かっているのかわからない人生は、意味がないから面白いのかもしれない
そんな風にも思います。
アンパンマンのやなせたかしさんじゃないですけど、
何のために生まれて何をして生きるのか
わからないまま終わる、そんなのはいやだ
みたいな葛藤を、もっとマイルドにして深刻とはいえない程度に悩む感じです。
葛藤とか空回りは、きっと若いうちの方がいいと思います。
大人になってからだと責任が増したり時間がなかったりで、
悩みたくても悩む時間もない
というジレンマにも陥りそうです😥自分を見失うかもしれません😱
子ども達に中学受験で願うのは、
多感な思春期の頃に、時には遠回りをすること
これが人間形成の時間を持つことになると思っています。
息子はとっくに中学受験を終えて、まさに思春期真っただ中です。
遠回りや空回りをしながら効率悪く?成長していく姿は、彼の人生そのものだなぁと感じます。
娘はこれからです。
一見、無駄な努力のように見える時間を、子どもたちには大切にしてほしいと思います👋