子どもの自立を促すには、
自分で考えて試してみる
自分で学んだものを活用してみる
失敗よりも発見に目が向くよう、失敗と試行錯誤を明確に区別させる
といったことが大切かなぁ?🤔と思っています。
そして最近もうひとつ教わってきたことですが、どうも
子どもに喋らせることが大事
なのだそうです。子どもに喋らせず親が遮ってしまうと、
考えることをやめてしまう
意見を言わなくなる
子どもの語彙が増えない
といった弊害が出るのだとか。
言われてみればそうかもと思いつつも、必ずそうなるというものでもないかもしれません。
そこで、ふと
妻と私では娘の勉強との付き合い方が違うなぁ
と改めて思ったのです。
よくよく振り返ってみると、私は結構教えてしまっていた気がします。
聞かれたら何でも答えるという意味でなく、
考えさせるのではなく覚えさせてしまう
という意味です。
これは子どもには、中学受験にはマイナスかもと思いました。
対話的に議論して取り組んでいる時は楽しくやれるのですが、
教えを聞くような状況では娘の喋る機会は自然と減ります。
ジェンダー差別や偏見は良くないですが、世間的には
男性はすぐ解決策を提示したがる
とか言われたりします😅
一方で、これこそ諸説ありますが
女性は解決策(最短経路)よりもプロセスを重視する
みたいに聞くことがあります。性別でなく性格に依存する気もしますが、ジェンダーに関係なく
中学受験では「教えてしまう」「解決策を提示してしまう」という親は、
きっと勉強の面倒は見ない、いや、関わらない方がいいかも
と思ってしまいました。
親が教えてはいけない、という意味ではなく「何を教えるか」が大切だということです。
解決策や解法ではなく、
どうしたら解決策や解法に自分で気づけるようになるか?
を教えるとでも言うのでしょうか・・・私は意識的にできているわけではないので、
うまく表現できません。これは私に欠けているものですね・・・😢
一方で客観的に見ていると、妻は娘の学力を上手に伸ばしている気がします。
私との大きな違いは
まるで生徒同士のように、同じ課題に取り組んでいる
というところです。
妻は正確な丸つけをするために、つまり自分のために課題に取り組んでいます。
娘と競争しているわけではないのです。
SAPIXの解説が薄い?せいか
単なる正誤にとどまらず、娘が採点に納得できるように、
つまり娘がどこをどう間違えているかに気づくために
妻は問題を分析しています。単に答えと照らし合わせて正誤をつけるだけでなく、
どうして〇なのか、×なのかを説明しようとしているわけです。
娘にとっては、これは楽しいようです(よく怒ってますけど)
どうして×なの?これがこうなるならこれは〇じゃないの?
どうしてこのやり方ではダメなの?私はこう考えたけど?
そういう主張、あるいは意見を言うことで、娘はよく喋る機会があります。
妻も「だって答えがそうだから」とは言わず、かといって解いてみせるわけでもないので、
娘は意見をぶつけつつも自分で考えざるを得ません(そのため復習時間は本当に長いです😭)
ここで妻が女性というのが良いのかもと、私は思っています。
妻は妻のお母さんとも友だちみたいな感じです。
娘とも友だちみたいによく盛り上がっています。
女性同士が男性同士と違う点のひとつは、年齢を超えて友だちのようになれることだと感じます。
母親なんだけど、友だちのような関係で意見を言える。
そして家庭学習も、友だちのようでありながら親である。
これが娘の学習に、とても効いているんじゃないかなぁと思いました。
男の子の場合は、本当に同学年同士で競争とかしないと盛り上がらないかもしれません。
タイトルには父親と母親と書きましたが、
先生と生徒みたいな伴走と、友だちや仲間のような伴走の違い
と言い換えても良さそうですね😅👋