前回からの続きです。読解力の土台は語彙力にあると私は思います。
高濱先生の本の宣伝記事を語彙力に絡めて解釈し、
語彙力がないと読解力がなくて全教科で伸び悩む可能性がある
と仮定します。
そうすると、これってもっとひどい話になると私は思います。
テストの問題が読めないような話になっていますが、もっともっとはるかに大事なこととして
たぶん授業中に先生の話についていけない
テキストに書いてあることがわからない
という可能性を示唆していると思うのです。
テストなんてその時の結果でしかないから、
点数とかどの単元が苦手か?
くらいしか見えない可能性があります。
でも伸び悩んでいるなら、その根本原因は
自分へのインプットをほぼ吸収できていない
という恐れがあると思うのです。
聞けない・読めないならば、残酷な現実の可能性として
どんなに復習時間をかけても定着しない
ことさえあり得ると思います。
より具体的にいえば
授業中に先生の言葉がわからず思考が固まり、
その間に先に進んでしまって授業が消化できない
ということが繰り返されるということです。
学年が進むほど学習内容が変わって難しくなる。
果たしてこの正体は何だろう?🤔
と考えた時、実は
扱われるすべての言葉が難しくなる
とも考えられます。
処理できる情報量を超えたら人の思考は止まると思います。
言葉がわからない、条件が増える、これらはいずれも
処理できない情報量の増加
につながってきます。
高学年で抽象概念が持ち込まれたら、図表などが手がかりになります。
そして難問になるとこの図表がなくなり、言葉だけで説明されたりします。
語彙力がないと思考力にも限界が来やすくなる
語彙力がないとさばける情報量が減る
という仮説がある程度正しいなら、
成績の伸び悩みはこの辺にあるのでは?
と私は思いました。
文字に限る必要はないですが、人類が他者や他日に情報を伝達するために、
記号(文字も含まれる)が生まれたと考えられます。
語彙力の多寡は、表現力にも自問自答の思考力にも影響すると思います。
次回は私の経験も踏まえて、そのような話を具体的に書いてみます👋