今日考えるきっかけとなったのはこちらの記事です。
この記事の中では算数の出題傾向が変わったことに触れられているのですが、
確かに入試報告会の各塾の分析結果も同じような内容でした。
未だに入試報告会のまとめができていません・・・メモを取り過ぎたせいです😓
記事で出てくる内容の中で一番気になったのは3つめの問題
とにかく問題文が長くなっている
というところです。これは算数だけではありませんでした。
国語は元々が長いので長さの変化は見られないのですが、
2つの出題文が使われている
会話形式や資料が使われている
という形式で「質としての問題文の長さ」が増しているとも考えられます。
問題文が長いというのはすなわち
ワーキングメモリに複数の情報を格納し、試行錯誤しながら解かなければならない
というプロセスになると思うからです。
ワーキングメモリを多用し酷使するのは、結構疲れると私は思います。
いくつもの条件を頭に入れながら問題を解くのは脳に汗をかく感じです🧠💦
すべてを脳に格納して同時に別のことを考えるような脳の使い方は、私は苦手です。
もしかしたら私の脳梁が細いだけかもしれませんが・・・😭
もしくは年々飲酒量が増えて脳が委縮してしまっただけとか💀
記事の中でSAPIXの広野先生がAI時代に求められる力に触れられていますが、
仕事でAIを使う立場からすると、さらに踏み込んで考えたいところがあります。
AIは仕事を効率化する上で非常に有効な手段であると、実際に使っていて感じます。
個人が取り組んだら数時間~数日かかるような仕事を、一瞬で片づけたりしてくれます。
ではAIを使ったら人間が退化するかというと、やはりそうではないと私は思います。
しょせん私見に過ぎませんが、本格的なAIの登場もこれまでの生産革命と似ている気がします。
単純労働の自動化によって人の仕事が奪われる
世の中はすべてロボットになってしまう
みたいな脅威が真剣に議論されたのは、もう何十年も前です。
確かに単純労働は減ったかもしれませんが、生産性の向上は大量消費社会を生み出し、
社会問題を引き起こしつつも、文明社会をさらに前進させました。
これにより、人類は動物としての根本的な課題を解決しつつあるとも言われています。
結局「ある問題の解決」は、先送りされていた問題、あるいは
その問題を取り除くまでたどり着かなかった未知の問題
(例えば、公衆衛生が発展するまでは死亡率としては低かった癌での死亡例など)
にたどり着くだけで、問題(次に取り組むべき課題)はなくなりません。
次回の記事では、
冒頭のSAPIXの記事に私が仕事でAIを使って感じていること
を絡めながら、低学年での思考力強化について書いてみたいと思います👋