ネットで
中学受験 父親の過干渉
みたいな記事を見かけると、必ず読んでしまいます。
以前も中学受験における父親の過干渉に関する記事を書きました。
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まぁ・・・
明日は我が身
と思ってないと、気づかないうちに私もはまる可能性があると思います。
今回見かけた記事はこちらです。
冒頭のイメージ写真がなかなか怖いです😓
私は「勉強しろ!」が教育虐待とは思いませんが、
勉強しないと〇〇だぞ!(〇〇には暴力的、脅迫的な言葉)
とかになると、虐待に近づいてくると思います。
今回の記事で
親にとっては落とし穴だよなぁ・・・🤔
と思ったのは、まさにこれ👇
わが子はもっとできるはず!
という気持ちです。
その一方で中学受験の親の心得みたいな記事や本では、
「わが子ならできる」と信じましょう!
とか書かれています(どっちやねん✋)
どっちとも受け取れる言葉で聴講者に判断(と責任)を委ねるコンサルのようです。
先ほどの記事は、
自分が成功したと思っている
か
自分はやってない(できなかった)が、できたはずだ(だからわが子もできる)
というタイプの父親だと、過干渉の恐れがあって行き過ぎることもある、と言いたそうに見えました。
冷静に考えれば
子どもは子ども、自分は自分
ですけどね🙄
これは想像ですが、もしかしたらそういう父親は組織などでも
こうすればできるはずだ。実際、自分はうまくやれている
できない人は自分(上司・同僚・部下)の努力や意識が足りないからだ
と思うタイプなのかもしれません。
でも実際は
プラスでもマイナスでも、周りの人間が居ることで自分の存在が意味を成している
ということの方が多いのではないかな?と想像しますが🤔
私も父親なので何となく思うのですが、
過干渉というのは目の前の子どもが、自分の理想とする子ども像とかけ離れているから
なのではないかと思います。
中学受験でいえば、
既に高い目標が設定されている(しかも最高難度)
6年生でなく5年生や4年生であっても最初から理想的な状態であることを望む
そしてそれが「達成できたら最高!🤩」でなくて「達成するのは最低限の目標」である
とかではないかと考えました。
思い通りの成績を取らせたいとかが入口になるのかもしれません。
私はどちらかいうと生活習慣や立ち居振る舞いなどを細かく観てしまいますが・・・
いずれにしても
理想を他人(子どもでも妻でも自分以外の個人)に求めてしまうと、厳しくなる
という構図かなと思います。
自分がきちんとしていればなおさら、他人にはひとこと言いたくなるものでしょう。
それが人間だと思いますし。
なので私はなるべく
他人ができるという事実と、私ができないという事実は別の話(自尊心が保たれる😅)
自分ができるという事実と、他人ができないという事実は別の話(寛容になれる🤣)
と思うようにしています。
意図的にそう思うようにしないと、きっとそうなってしまう😱
と思っていますから🤣
中学受験の勉強をするのも試験を受けるのも娘である
受験生としての主人公と伴走者としての主人公は違うということです。
私は私の人生と役目において主人公であり、娘の受験ではわき役です。
わき役が「真の主役は自分だ!だから主人公はこう振舞え!」と言い出したら、
ドラマは台無しになると思います。
でもいつ自分も過干渉な父親になるかわからないので、
こうして定期的に自分を点検していこうと思います😅👋