もはや悲喜交々、まったく関係のない人にまで楽しまれてしまうコンテンツと化した中学受験?😥
中学受験に挑んでいるのにまるで違う世界の話を聞いているように思うこともあります。
でも時にはやはり、
他人事と思っていてはいけないな
と思うこともあります。
つい最近見かけたのは、教育虐待に関する記事とマンガです。
中国や韓国の受験事情と比較したら
日本の中学受験を社会問題と位置付けるのは過激
な気もしますが、中学受験→子育て→少子化とつなげたら、社会問題なのかもしれません。
もう一つの社会問題として最近よく取り上げられているのは、
子どもへの性虐待
です。
私が個人的に感じるのは、欧米における子どもの人権という観点での取り上げられ方ではなく、
あくまでも少子化に対する子ども支援
というところが日本らしい気がします。どちらのアプローチにも一長一短はあると思います。
非常に興味深いのは、
この問題を騒いでいるのは当事者である子どもではなく、やはり大人であるということ
です。
この構図は本当に興味深いです。
いついかなる時も、
それは本当に子どものためなのか?
子どもを媒介として大人の権利や主張を闘わせているのではないか?
という疑問はつきまといます。
子ども視点に立てば、子どもは
親に愛されていたい
友だちと仲良く遊んだり、競い合いたい
興味の赴くままに目の前の世界を楽しみたい
といったわかりやすい欲求な気がします。
中学受験が教育虐待につながるかどうかの一つのバロメータは、
主人公が子ども本人であると言い切れるかどうか?
にあるかと思います。あくまでも一つのバロメータだと思いますが。
そんな葛藤を抱えながらも、中学受験保護者としての当事者としては
いやいや世の中の現状や将来を考えたら、
子どもはわかってないけど親は心を鬼にして、子どものために導くしかないんだよ
という気持ちがあります。あると思います。
常に矛盾しているともいえます😓
そんな私が思っていることは・・・
中学受験は、やり切れるなら素晴らしい中高一貫校での6年間につながる
でも、もし本人がそこまでやり切れなさそうなら高校受験もある
いずれにしても大学受験もあるし、そもそもやりたいことが学業に絡むかもわからない
だから、
「これがダメだったらもう未来はない」
なんて思わずに、次の挑戦に切り替えればいい
ということです。
頑張ると同時に、何度でも挑戦できると思えるようでありたいな、と。
次があるから手抜きができる、という意味ではなく
失敗して本気で悔しがった後にも、まだ人生は続くということ
を子どもにも伝えたいところです。
教育虐待マンガはあえて過激な描写をしていると思いますが、
勉強がすべてである(と考えている)
成績や学歴で他者への優位性が得られる(と考えている)
というところがポイントかもしれません。
中学受験の渦や沼は、人を飲み込んでしまうところがあると思います。
時々わが身を振り返るためにも、買ってみようかな😅
もう少し怖くない絵だったらよかったのになぁと思いました👋