前回宣言?したように、言葉に関心を向かせるために
私が考えたり思ったりしていること
を、ちょっとだけ頑張って書いてみます。感覚的過ぎて書ける自信はありません。すみません😥
言葉に関心を持たせて文字を読ませる?
ものすごく遠回りかもしれませんが、とにかく考える時間を作らせることが最初だと思います。
それは読書や勉強ではなく、身の回りや自然です。
かといって、準備された自然体験をさせるとかではありません。
子どもがその辺の水たまりで遊んだり、(場所には注意ですが)石ころを蹴って遊んだり、
縁石の上だけを歩いたり、タイルの黒いところだけをたどって歩こうとしたら、
気のすむまで付き合ってあげるようなことです。
与えられた刺激ではなく、自ら遊びを創り出している時、子どもは自分の頭を使っています。
科学的に考えることだけが頭を使うことではなく、本能的に頭を使っていることが大切です。
大人は効率を考えてしまうので、
無駄なことでなく意味あることに頭を使えばいいのに
と思いがちです。そんな時は二択なんだと思うと、力が抜けたりします(私は😅)
- どうでもいい遊び?をすぐにやめさせて、頭を使う遊びをさせる方が良い
- 何が楽しいかさっぱりわからないけど、何か考えているようだから見守る
私は時間に制約がなければ、なるべく2を選択したいと思っています。
使え!と言っても頭を使ってくれないくらいなら、何でもいいから頭使ってればいいやと。
使って刺激しないと脳は育たない🧠🌱🐣
なので、少し癪でもあるので、
遊びの邪魔やいたずらで刺激して、さらに頭をつかわせる
という若干の意地悪もします(暇だし、かといってスマホよりは子どもの方が面白い?)
また本当に自然体験をさせるなら、完全に決まったコースや用意されたイベントよりも、
遭難しない程度に自由なハイキングで道草(木でも虫でも)したりとか、
あるいは電車好きならSuicaのチャージがなくなるまで、好きな路線を好きなだけ乗らせるとか、
自由を与えてあげることが最初かなと思います。遊び心と頭の自由時間はセットです。
そうやって自分の頭を意識的・無意識的に繰り返し使うことで、
自分の外側の世界にも関心が向く気がします。そして(一気に飛躍しますが!)
知りたいから言葉を理解しようとし始める
なのではないかなと思います。情報が欲しいと思わなければ、調べないよね・・・と。
指示されたことを忠実にこなしているだけだと、能動的に頭を使うことが難しくなりそうです。
与えられた刺激を使ってではなく、
遊び自体を自分で創って遊ぶうちに自然と頭を使うようになる
そして感覚的・本能的に「常に自然に頭を使っている」ようになる
そのベースがあると、勉強さえも遊びに見えて楽しくなるんじゃないかなぁと思います。
子どもは
何でそれが楽しいのだろう?
何で飽きもせずいつまでも同じことを繰り返しているのだろう?(早く帰りたいのに)
という場面が結構あったと思います。根競べですね。なるべく見守って付き合うしかない😓
でもこれが頭を使うベースになるはずだと。
全然論理的でないので、書いていて恥ずかしくなりますが😳
ものすごく遠回りだけど、頭を能動的に使わせる→好奇心が解放される→言葉に関心を持つ
みたいに思っています(ダメだ、論理的じゃないし説得力の欠片もねぇ🤣)
読解力を磨き上げるための道のりは・・・長いですね😫
次回はもう一度新井先生の記事(面白い!🤩)を紹介し、読解力の考察と余話を書こうと思います👋