最近私は、改めて読解力に関心が高まっています🧐
中学受験はもちろんのこと、一生を左右するのは読解力らしい?
と感じているからです。
この記事に出てくる構図分析は、まさに中学受験で自走できる子とできない子のようです。
自分で教科書や参考書、テストの解説が読める子は、考えるという行為を継続できる
だから答えや今まで気づかなかったことにも気づくことができる
そもそも読めなければすぐ飽きるけど、読めるから飽きない(続く→進む)
と思います。でもその入口は
「教え」を与えてくれる教科書や説明を読めること
です。他人に聞いた時はわかった気になりがちなのですが、同じことを
一人で文章から読み取ろうとすると、急にできなくなる
というのは、中学受験でよくあることだと思うのです。
授業を聞いている時はわかるのに、テストだと解けなくなる
というのは、基本理解が甘いケースもありますが、それ以上に(特に難関校になると)
(時間内に)問題を読み解けないこと
が原因になると感じています。
読解力を発揮しないと、せっかくの脳の引き出しを適切に扱えないのです。
読解力・・・。
元々は中学受験とも国語とも関係なく調べものをしていたのですが、
そうしたらこの記事にたどり着きました。ここから色々と読み漁ったわけですが😅
ハッとしました。
記事の途中で
基礎的読解力の指標7分類
という項目が出てくるのですが、
ここまで言語化・細分化して読解力を分析したことはなかったな~😮
と。
でもやっぱり、読解力の基本は語彙だと再認識できました。
新井先生のお話に従うと、そもそも文章を読めなければ何も始まりません。
言葉がわからなければ意味がわかりません。
もし文章が文脈や隠喩を前提としているなら、かなり深い語彙力と想像力、仮説思考がなければ、
この文章が日本語だということはわかるが、おかしな文でしかない
と思ってしまいます。
ありえないと思うかもしれませんが、
今日、パパとみかんを食べた
という文章は「”パパとみかん”を食べた」、「みかんをパパと食べた」の2種類になります。
読み間違えませんよね?
でも、ここに違和感とか
そういう解釈もあるね
と思って文章の構造に関心がなければ、
今日みかんをパパと食べた
みかんを今日、パパと食べた
パパと食べた。今日、みかんを
がすべて同じだと見抜けませんし、組み換えに挑戦させると
今日、みかんとパパを食べた
って書いてしまったりするのです(大げさに言えば)
単語をどこで切ってよいのか、文はどう成り立っているのか、これらは文章を読む基本です。
国語が苦手な子どもは、きっと苦しんでいると思います。
なので、算数の問題が正確に読めなかったり条件整理が散らかったり、
社会や理科のリード文に乗って行けなくなったりするのだと思います。
単語の意味、単語のつながり・語彙。
これらがベースにないと文章は読めないので、すべての教科で不利になると思います。
逆に、文章が読める子はどの教科でも何とか対応できるし、そもそも
読めるから一人で調べ、考えられる(お、自調自考ですね~😅)
といえるのだと。
しかし、こういう話になると
とにかく読ませなくては!単語を調べさせなくては!
と思いがちですが、それは前提が崩れているように思います。
読めないから読み進めないですし、そもそも言葉を調べさせるということは、
辞書やテキストを読ませることになる
と思います。
辞書の説明ってわかりやすいでしょうか?
写真やイラストもなく、図説もないことがほとんどです。
それに駆け出しの子どもだったら読んでいて面白くないでしょう。
書店で売っている子ども向けの語彙の本やマンガだって、よくよく見れば
ある程度知的というか、言葉を教えられてきた子どもが対象
として書かれていると思います。
そもそも活字嫌いはマンガですら絵しか見ない😱
言葉に関心が薄い子ども(別に悪いとか劣っているとかでもないですよ)を想像したら、
もっと即座に刺激が与えられて、映像や音声で自動的に興味を引くもの
にすぐ引き込まれそうに思いますよね。そうです、スマホが代表的です。
説明を読まなくたって、感覚だけで楽しめて刺激的である。
言葉に関心を持たせるには、言葉以前のところから始めないと難しいと私は思います。
言葉への関心から語彙や文章への関心、そして読書・・・でしょうか。
中学受験に直接役立つものではありませんが、文字に触れた経験は後から効いてきます。
ではどうしたら言葉に関心が高まるか?
私は論理的に説明できませんが、きわめて個人的な考え・思いはあります。
その辺の話は次回頑張って書いてみようと思います😓👋