勉強しなさい!😠
と責めることが、教育虐待と言われる話を見かけます。
不思議ですが、勉強は子ども本人の将来のために必要なことなので、
中学受験か高校受験かに関係なく、たいていの親はこのセリフを言うよね😒
と思います。
中学受験をしない家庭でもし、子どもに勉強しなさい!と毎日言っていたら虐待でしょうか?
逆に、勉強しなさい!と言わなくても毎日塾に通わせていたら虐待でしょうか?
何でこんな話を持ち出したかというと、
小学生に夜まで塾通いさせて長時間勉強させるのが中学受験
→子どもがかわいそう
→中学受験の実態は教育虐待と紙一重だ
みたいなイメージがしっくりこないと思ったからです。
たぶん中学受験を目指している家庭と、そうでない家庭において
同じように夕方から夜まで毎日2時間勉強するように仕向けた場合、
中学受験の場合は教育虐待で、普通に将来を見据えて勉強させている場合は虐待でない
みたいに区別されてしまう可能性だってあると思います。
子どもの将来を心配して勉強するように導く親という点では、みんな同じなはずですが😓
そんなこと考えるきっかけになった記事がこちら
読んでてところどころタメになりました😮
言葉か腕力かは問わず、暴力は肯定されるべきではないと思いますが、
そのような行為の話よりも、勉強するように指導する目的の話が印象に残りました。
特に4ページ目の部分は簡潔にまとまっていて良いと思います。要約すると
口先では「子どものため」というが・・・
- 自分の苦い受験を子どもの受験でリベンジしたい「リベンジ型」
- 立派な親だと他人に勝ち誇りたい(承認欲求に近い?)「競争型」
- 親が発達障碍で管理してしまう「発達障碍型」
- 親が高学歴等で他人を見下している「成功体験押し付け型」
これらはみな、子どものためでなく親のためである
と書かれています。いずれにしても
親本人にとって、自分の自己実現のために子どもが存在しているような状況
は、教育虐待につながる可能性があるのだそうです。逆に、記事には出てきませんが、
子どもの意思に反して勉強させるのは教育虐待に近いものがある
みたいな話は、ちょっと極端だと思っています。
だって子どもの意思の通りにしていたら、勉強以外のことばかり優先されそうですから😅
栄養をつけるためならピーマンだって人参だって食べさせると思いますが、
虐待ではないですよね?食べやすくとか、原材料を見えなくするとかの工夫って、
勉強を楽しくさせようとする工夫とかと似たようなものでしょうし。
シンプルに、自分に正直に問いかけて
今のこれは、子どものためか?親のためか?
を考える方が良いと思います。子どもが自分の言うことを聞かなかった時に
自分のために腹が立ったのか、それとも100%子どものために必死なのか
は、自分だけはその答えを知ることができるはずです。
これらとはまったく異なるのですが、
子どもの将来を不安に思って少しでも良い道を作ってあげたい、選択肢を増やしたい
と心配し過ぎている場合も、同じようなリスクをはらんでいるのではないかな?🤔と思います。
私もその日が来るのはとても寂しいですが、いつかは子離れの時がきます😭
子どもの人生は本人のものですから。
失敗しても直接助けず自分の力で乗り越えるのをサポートするしかない。
そうでないと子ども自身の「生き抜く力」が育たない。
にもかかわらず、子どもの将来が不安で仕方なくて、
多少きつく当たってもこれは愛情だから
と迷う場合、もしかしたらそれは
親が自分の不安を解消したい、あるいはやるだけのことはやったと安心したい
という気持ちの裏返しかもしれないと思っています。
不安解消や安心が目的なら、やはり親自身のために近くなると思います。
なので記事にあった4タイプに限らず、親が周りやわが子を観て過剰に不安に思えば、
無意識的に教育虐待に近づいていく可能性があると思うのです。
私自身が
自分が強くなければ、自分の不安を子どもにぶつけてしまうかもしれない
と思っているので、これは自戒の意味があります。
中学受験で勉強しない、態度が悪い子どもを見て過剰に腹立たしく思うことがあるとすれば、
それはもしかしたら
(主に親自身の)お金と時間はかえってこないのに、失敗なんてしたくない
思った通りの受験にならなくて、自分を否定する気持ちになることが不安で仕方ない
という焦りかもしれないと思うようにしています。
一歩引いて考えたら、
思うような受験にならなかったのにケロッとして普通に中学に通い始めるわが子
の方が、
受験の結果をずるずると引きずって、12歳で人生を暗く感じるわが子
よりも、親としてはありがたいと思います。
まずは元気に過ごして健全な大人になってくれなければ、それこそ大変でしょうから・・・😥
先ほどの記事には
子どもの心身を傷つける行為は虐待
と断じていますが、傷つくかどうかは人次第・関係性次第という側面もあると思います。
なので、むしろ記事に書かれていた
本当に子どものために行っていることか?を考えること
の方が、中学受験の伴走で泣き・笑い・怒りから逃げられない親にとって、
自分を見つめるポイントになっていいんじゃないかなぁ🧐
と思いました👋