中学受験、あるいはその先の学習は
これさえやっておけば大丈夫👍
という解のない、果てしない試行錯誤のループだと思っています。
そんな
学びとは何なのか?受験や試験と、勉強の違いは何なのか?🤔
は、中学受験に臨んでいる子どもを持つ親にとっても、永遠のテーマだと私は思います😓
そんな底知れない中学受験の勉強に関して、
よくまとまっているなぁ
と感心する記事はしばしば見かけるのですが、今回は
その記事(掲載当時のYahoo記事)に対するコメントもすごいな😅
と思わされてしまったので、紹介してみたいと思います。
件の記事のYahoo版はこちらです。
いずれ期限切れになるので、リアルタイムのコメントを見られる期間は限られます。
元々の記事はこちらです。
記事自体が良いと思うので、個人的には読んでみて損はないと思います。
で、Yahooに寄せられたコメントを意訳して引用しますが、
・算数は基本の型を覚えた上での処理能力が不可欠だが、難関校はその先に思考力が必要
・図形問題は解法を覚えることも大切だけど、解法を編み出す力こそが重要、
でもその力をどうやって身につけたらいいか?に対する教え方はない
・算数で「質問して解法を教えてもらうやり方」では、難関校の問題に立ち向かう力は
養われない
・上位校であるほど根気が求められるから、あえて質問せずに考え抜くことが大切
・空欄を作らないための技術も重要。でもこれは考えて手を動かせなければできない
といった感じのコメントが、上位に並んでいました。
算数では、特に難関校になればなるほど、
あえて質問せずに、誰にも教わらずに考え抜く行為自体が欠かせない
と、少なくない人が思っているのだと私は思いました。
何でこれが重要だけど難しいことなのかというと、
勉強というのは学ぶことであるはずなのに、Whatを学ぶことは一定水準までは重要だが、
その先は、わからない状態で挑み続ける行為自体の方が重要である
と言っているからです。
まるで禅問答ですよね😅
わからないことをわかるようになろうとする行為が真理であって、わかってしまったら意味がない。
質問したり教わったりしたらダメというのが矛盾過ぎて、子どもに教えることが難しいのです。
中学受験の勉強は、
解けるようになりなさい
答えを出せるように学びなさい
という仕組みになっているのに、
ずっと解けなくてもがく状態を続けなさい
答えが出せなくて悩むことが、解けるようになる力を伸ばすのだ
というのは、理屈では説明しきれないと私は思っています。
表現がすごく難しいと思うのですが、
わからない状態でとにかく机に向かいなさい!そしてずっと考え続けなさい!
と言っているように感じるのです。宿題や課題を終わらせることでもなく、
新たな知識を覚えることでもない。でも問いに向き合い続けなければならない。
子どもからしたら、
何を言っているのか完全に意味不明
と思うようなことに感じます。
こんな難しい”学び”はないと思います。
ですが、確かに最難関に合格してそこが終わりでなく、さらに学んでいく子ども。
そういう子どもは、その
学ぶという行為が含んでいる矛盾を、”ここだけは”理屈抜きに本能で受け入れてしまう
という性質を持っていると思えてなりません。
素直な子なら、疑問もなく質問をすると思います。
そしてそれがあたかも責められることになるなんて、理不尽に感じることかもしれません。
だけど大人になると、多くの人がそれを受け容れてしまう。
守破離ではありませんが、
型を学んだその先に、型を破り、そして新たな境地を生み出していく
そのような”学びの真髄”をもし教えることができたなら、
もしかしたら胸のすく思いができるかもしれないなぁ
と思いました😅👋