前回からの続きです。
チャレンジ中毒をどう表現したらいいのかわかりませんが、考えてみました。
お金持ちはお金を増やすこと自体が楽しい?のと似ているかもしれませんが、
伸び続ける人は伸び続けようとすること自体が根源欲求になっている・・・?🙄
チャレンジすること自体が目的(欲求)だから、現状に満足しないのではないか?🤔
という逆説的発想です。
ちなみに
じゃあいつも満たされないから、いつも不満があって幸せじゃないんじゃないの?
と思うかもしれませんが「現状に満足できず挑戦することが好きな人」にとっては、
いつも満足できずに挑戦し続けられる状態こそが幸せ🤣
みたいなものだと思うので、不満どころか超幸せな状態かもしれません。
クレーンゲームの目的は景品ではなく、取れそうで取れないものに挑むことが真の景品みたいな?🤔
景品(現物)でなく射幸心の虜になること(快楽物質)が目的なら納得?かもしれません。
話を元に戻すと、
- 課題を解決したという達成感
- 自分の成長に対する実感
- 体に作用しているような脳への快楽的刺激
の3つがセットになっているのが望ましい感じです。
たとえばノルマを達成しただけでは、爽快感は得られても
よし、次のノルマに取り組みたくなったぞ
という気持ちになるかは微妙です。むしろ休んだり好きな遊びをしたくなりそうです😅
そこには「成長への実感」がないと物足りません。
前はあんなに苦戦していたことが、今の自分にはできた
まぐれかも?と思っていたことが、まぐれとは思えないようになってきた
という、
過去の自分と今の自分の違いの認知
が成長だと思います。なので
課題を達成した時に過去と現在を比較できる材料があると、成長の自覚を促しやすい
と思うのです。
私は子どもに対して、何かうまくいった時はなるべく、
過去の本人と比べて「成長したね」と声掛けしようと機会を窺っています。
いつもうまくいくとは限らないので、機会が到来しているかを考えています。
時には
過去の自分を引き合いに出してほしくない
→せっかく今うまくできたのに「前はできなかったじゃん」と言われた気持ちになる
というタイミングもあると思うのです。
本人が自信を持って「何かを達成した」と思えてない時は、さりげないくらいが丁度いいと思います。
そして脳への刺激ですが、これは「いつでも使える手段」は思いついていません😓
次回は私なりに考えた仮説(たわごと・・・)を書いてみたいと思います😅👋