前回は少し幅広く抽象的に、
たとえば叱らない子育て(手段)が大いに気になりながらも、
リアルな子育ては個別の事例だから当てはまらないともみな思っているはず😅
ということを書きました。
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今回は少し具体的に、私がわが子と接している際の話です。
これすらもサンプル数=1の話でしかありませんが・・・。
手段が正しければ答えが出るはずだ
という自然な考え方や振る舞いは、子どもの勉強を見ていても感じます。
Aという手段(解法)がダメならBを試してみよう
うちの子はこういう発想を持っていました。今もあります。
その度に言うのは、
すぐ解こうとしないで問題をよく理解してみようよ
ということです。
そうでないと、時間は経つし疲労感もたまるからです。
これはストレスになるので、段々嫌になります。「わかんない!」といって投げ出す瞬間です🤣
子どもにとっての勉強を、親にとっての教育に置き換えると
すごく構図が似ている!
と感じます😅
あれこれ、褒め叱り宥めすかし、イライライラ・・・みたいな😭
問題を正確に把握するよう努めるというのは、
なかなか「解く」という段階に進めないので非常に焦る展開
でもあります。うちの子を見ていると、
すぐに解きたがるのはダメよ〜
と止めることがあります。でもここが我慢のしどころなのだと思います。
一方で、
考え過ぎずにどんどん手を動かそう!
とも言います。最近ようやく伝わってきたかな?🤔と思うのは、
「手を動かす」とは「問題掌握のために条件を整理していく」
ということです。
ここには少し確立されたプロセスがありそうです。
ある問題を解きたいなら、
問題把握→解法選択→精度良い再現
がプロセスだと思います。車の運転で習う「認知・判断・操作」と似ています。
認知を誤れば事故につながります。
判断を誤れば操作ミスを招きます。
いい加減な操作は思った動作を再現できません。
叱る・褒めるの話に戻せば、同じわが子でも
嬉しいこと・嫌なことがあった
気持ちが乗ってる・乗らない
といった短期的要素もあれば、
幼くて従順・成長して自我が芽生えた
といった長期的要素もあります。
常に条件が変わるので手段が変わるのも自然なのだと思います。
なので前回紹介した記事にある、「叱る」と「自己肯定感」の関係も、
子どもの成長度と家庭以外の外的要因によって、相関が強まったり弱まったりするものだと思います。
ただ、もし自己肯定感の醸成を目的として据えるなら、
頑張った時は褒めて、いい加減なことをしたら叱って、
常に本人が自分で自己評価を適切に行えるようなサポートをしよう
とすることで、適切な手段を選べる可能性は高められると思います。
次回は実際に私が試行錯誤した例や、それに伴う子どもの小さな変化、
そして私がそこから感じたことに触れて、話しをまとめていきたいと思います👋