中学受験でもしばしば話題になりますが、
叱らない子育て
褒めて伸ばす子育て
といった子育て論があります。
叱らない(というより「親が怒らない」に聞こえる)話は少なくないと思います。
上の記事でも主題になっていますが、
叱る・褒めると自己肯定感の話がセットになっているケース
も多いのではないかと思います。
どちらのケースにも成功談と失敗談があり、結論は出ない感じです。
私なりに思うのは、
叱るとか叱らないとかは手段の話に過ぎない気がする
ということです。
- どうして手段の話が盛り上がるのか?
- 私たちはそれを聞きたがるのか?
それは
良いプロセスが良いアウトカムをもたらすと知っているから
なのでしょう。
同時に思うのは、プロセスがリザルトを約束するのは
数学的事象、論理が確立した事象だけ?
というところです。
これらは常に同じ対象を相手にしている前提です。
「地球上で」とか「ある決まった系で」というか。
では、なぜ同じ勉強をしても同じ成績や結果にならないのか?
と問われると
子どもそれぞれに特性は違うから
という返事がすぐに聞こえそうな気がします😅
それが正解かどうかが問題なのではなく、この構図の意味するところは
手段の話は前提条件が成立しないと適用できない
と思っていながら、
手段に傾倒することに矛盾が存在することを受け容れているところ
に問題がありそうだということだと思います。
他の親子でうまくいった叱り方をしても効かない
逆に、褒め方をしても期待した効果が得られない
このようなことはいくらでもあると思います。
同じ問題集、塾、先生
このように置き換えても当てはまりそうな気がします。
つまり、
参考になるかもしれないけど通用するかは定かでない
なのだと思います。
手段が適切かどうかを見極めるためには、
前提条件が合っているか
を確かめながら試行錯誤しないと難しいのだと思います。
次回はもう少し具体的に、中学受験の勉強や自己肯定感なるものについて触れてみます👋