子どもの勉強を見ていて気になるのは、何かを指示した時に
できない~!😠(半ギレ)
と反射的に返ってくる時です。
やった後の「できなかった」でなく、やる前の「できない」がイヤだなぁ~😔と。
親の側にも問題はあると思うので気をつけなければならないのですが、
これが定着してしまうと本当に困るなぁと思っています。
大人でも同じというか、
いつからか人は「できない」になる
と。
- 少し頑張ればできること
- 面倒くさがらずにやればできること
- 工夫すればできるかもしれないこと
これらの場面で「できない」という時はたいてい、「やらない」です。
上記の場面は明らかにできないことでなく、やってみなければわからないことです。
注射💉が痛い!
と思うと、打たれる前から痛い気がして嫌になる感じ?
でも多分、勉強でも注射でも最初から「できない!」ではなかったんだろうなぁと思います。
注射は無理かもしれませんが😓
子どもは
できそうだ!🤩
と思うことは嫌がらずにやるか、他にやりたいことがあって面倒くさいかの二択な気がします。
勉強で「できない」という時は、できないのではなくて
「やってみてできなかった」となるのが嫌だ😢
だと感じます。何度考えても、試してみてもうまくいかなくてアイデアが枯渇したら、
子どもでも大人でも
もうやりたくない(諦め)
という気持ちになると思います。しかもそれが、自分でやろうと決めたことでなく
人から指示されたこと
であれば、なおさら嫌なのではないかな、と。大人でもストレスなので、子どもは
できなーーーーい!😡(ストレートなストレス)
となるのでしょうね😓
これからすべての教科で抽象度が増してくること
は、一周目のカリキュラムや予習シリーズを振り返れば明らかです。
これまでは
できるから楽しい🤩楽しいからやる!😍
でしたが、ここから先は
できるようになってやる!🔥自分の力でやってやる!😠
がないと難しいです。
なので、これまでも書いてきたように
スモールステップを大切にしないと危うくなる
と思っています。
できないことを同じ方法や根性論だけで何度も挑戦させ続ければ、やらないになる。
「やらない」を「できない」と言い換えるだけでなく、もっともらしい理屈や言い訳をするうちに
やらなくて済むようにするスキル
だけが伸びていくことになります。
そしていずれ「できない」人間が完成することに・・・。
できるはずだったことさえできなくなる
やらなかっただけのはずが、本当にできなくなってしまう
勉強に限らず、片付け、鉛筆削り、忘れ物チェック、早寝早起き、何でもいいですが、
”本当に困難を伴うもの”でもないのに「できない」と言い出すことはあります。
人は自分に正直なのか、
「やらない」と言ったら自分の責任になる
しかし「できない」と言い続ければ他責にし続けることができる
自分は傷つかない、自分と向き合わなくていい
という防衛本能を持っていると思います。自分を守るために大切な本能です。
ですから、防衛本能が発動されるような状況にならないことが重要なのだと思います。
子どもも大人もモチベーションの高低は日常的に波がありますし、体調の良し悪しもあります。
過負荷の状態を続ければ「やらない」が「できない」になるかもしれない・・・
girl.chugakujuken-challenge.work
思えば何度となくブログで書いてるなぁ😓
ですが、科目が増えたりカリキュラム学習の難度が増したり、新単元が出てきたりすると、
いつもここにたどり着きます。
娘の成長に見合った負荷に気をつけながら、
できないーーー(防衛本能)
がなるべく発動しないような状況を続けていこうと思います。